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東京地方裁判所 昭和51年(特わ)495号 決定 1978年9月21日

目  次

主文

理由

序章(001~009)

第一節  問題の所在及び判断の順序(001~006)

第二節  叙述の形式及び略語(007~008)

第三節  本件嘱託証人尋問の経過(009)

第一章   外国裁判所に対する証拠調嘱託の適法性(101~119a)

第一節  受訴裁判所の嘱託権限(101~115a)

第一款 本節の結論(101)

第二款 問題検討の視点(102~104)

第三款 我国における国際司法共助の概況(105~108)

第四款 我国内法上における嘱託権限の根拠(109~115a)

第二節  刑訴法二二六条所定の裁判官の嘱託権限(116~119a)

第一款 本節の結論(116)

第二款 その理由(117~119a)

第二章   いわゆる不起訴宣明と証人らの供述拒否権(201~242)

第一節  問題の展望(201~205)

第二節  いわゆる不起訴宣明の法的性格(206~221)

第一款 本節の結論(206)

第二款 検事正の宣明の法的性格―公訴権の放棄と解すべき理由(207~216)

第三款 検事総長の宣明の法的性格(217~218)

第四款 最高裁判所の宣明の法的性格(219~221)

第三節  公訴権放棄の法律上の根拠(222~228a)

第一款 本節の結論(222)

第二款 その理論構成(223~228a)

第四節  本件公訴権放棄の適法性(229~239)

第一款 本節の結論(229)

第二款 公訴権放棄が許される基準(230~237a)

第三款 公訴権放棄の方式(238~239)

第五節  公訴権放棄の効果(240~242)

第三章   被告人の反対尋問権(301~313)

第一節  本章の結論(301)

第二節  憲法三七条二項に定める反対尋問権(302~302b)

第三節  憲法による例外の許容(303~306)

第四節  公判期日等における供述不能(307~309a)

第五節  信用性の情況的保障(310~313)

第四章   刑訴法三二一条一項一号による証拠能力の存否(401~403)

第一節  本章の結論(401)

第二節  一号所定の「裁判官」の意義(402)

第三節  一号の類推適用の是非(403)

第五章   刑訴法三二一条一項三号による証拠能力の存否(501~536)

第一節  本章の結論(501)

第二節  三号書面該当性及び供述不能の要件(502)

第三節  不可欠性の要件(503~507)

第一款 不可欠性の意義(503)

第二款 被告人児玉の犯罪事実との関係(504~505)

第三款 被告人大刀川の犯罪事実との関係(506~506a)

第四款 被告人小佐野の犯罪事実との関係(507)

第四節  特信性の要件(508~526a)

第一款 本節の結論(508)

第二款 証言録取の手続(509~511b)

第三款 宣誓及び偽証罪の制裁の告知(512~515a)

第四款 弁護人の立会(516~518)

第五款 客観的資料を提示しての尋問(519~519a)

第六款 証人らの供述態度(520~520d)

第七款 不利益供述(521~522)

第八款 日本側関係者らとの利害関係(523~526a)

第五節  任意性(527~536)

第一款 本節の結論(527)

第二款 刑訴法三二五条と三号書面(528~529)

第三款 任意性の意義(530~531)

第四款 本件証言調書の任意性(532~536)

第六章   再伝聞供述及び副証の証拠能力(601~619a)

第一節  再伝聞供述(601~610)

第一款 序説(601~607)

第二款 被告人以外の者の供述を内容とする供述であつて証拠能力を認め得るもの(608)

第三款 被告人の供述を内容とする供述であつて相対的に証拠能力を認め得るもの(609)

第四款 被告人以外の者の供述を内容とする供述であつて証拠能力を認め得ないもの(610)

第二節  副執行官証拠物(611~619a)

第一款 本節の結論(611)

第二款 副証の性質(612~619a)

別紙 一ないし九

被告人 小佐野賢治 外二名

主文

被告人ら三名に対し、アーチボルド・カール・コーチヤンの標記証人尋問調書第一巻ないし第七巻、ジヨン・ウイリアム・クラツターの標記証人尋問調書第三巻ないし第七巻中、当該被告人に対する関係において取調請求がなされている部分(添付書類を含む。)を、それぞれ証拠として採用する。但し、後記(イ)ないし(ニ)に掲げる部分は、当該被告人に対する関係においてこれを除く。

(イ)被告人小佐野賢治に対する関係において、別紙二及び三記載の供述

(ロ)被告人児玉誉士夫に対する関係において、別紙三及び四記載の供述

(ハ)被告人大刀川恒夫に対する関係において、別紙二及び四記載の供述

(ニ)全被告人に対する関係において、別紙五記載の供述

理由

序章

第一節  問題の所在及び判断の順序

(001)  本件嘱託証人尋問調書の証拠能力に関して提起されている問題は、きわめて多岐に亘る。各被告人の弁護人の展開する論旨も、論点の取り上げ方、論述の順序において決して一様ではない。そこで、当裁判所としては、論旨の順序に必ずしも拘束されず、各論点を整理したうえで論理的順序に従つて排列し直したところに従い、順次検討を試みることとした。それぞれの論点に対応する弁護人の論旨については、当該個所で判断を示している。判断の順序は次のとおりである。

(002)  まず、外国裁判所に対する証拠調の嘱託の適法性が問題となる。この場面においては、国内法、国際法及び外国法が交錯するから、論点に即した準拠法を誤りなく選択しなければならない。本件で具体的に問題となるのは、刑訴法二二六条所定の裁判官の嘱託権限であるが、一般論としてまず、受訴裁判所の権限を検討し、然るのち同条所定の裁判官の権限につき考察した(第一章)。

(003)  次に、本件証人尋問に際し、いわゆる不起訴宣明がなされたことに関連して、証人らの憲法上の特権である供述拒否権が侵害されたか否かが問題となる。各不起訴宣明の法的性格は何であるか、その法的根拠は存在するか、具体的不起訴宣明が適法と認められるか、不起訴宣明は証人らの供述拒否権にどのような消長をもたらすか、それは何故か等について逐一詳細に検討しなければならない(第二章)。

(004)  第三に、かくして作成された本件証人尋問調書を被告人らの断罪の資料に供することが、被告人らの反対尋問権を侵害するものとならないかについて検討しなければならない。ここでは、憲法の保障する反対尋問権の意義、憲法が例外を許容するための基準が問題となる(第三章)。

(005)  次に、本件証人尋問調書の刑訴法上の証拠能力を検討することとなる。同法三二一条一項一号又は三号書面の該当性、各号所定の証拠能力の要件(ことに、特信性及び任意性)の存否につき判断する(第四章及び第五章)。

(006)  最後に、本件証人尋問調書中に含まれる再伝聞供述及び末尾添付の副執行官証拠物写の取扱いについての判断を示すこととする(第六章)。

第二節  叙述の形式及び略語

(007) 叙述の形式については、概ね左のとおりとする。

1  全体を章、節、款及び項に分つ。

2  章、節、款には、それぞれ見出しを付する。

3  項には、見出しを付さず、各章の数字(但し、序章については「0」を用いる。)を百の位に付した三桁の番号を付する。この番号は、節、款に関係なく、各章ごとの通し番号とする。

4  各章又は節の冒頭の節又は款において、当該章又は節全体の結論を先に示すものとする。

5  弁護人の主張に対する判断又は各項の判断に関する補足説明は、関連する項の直後に、当該項番号にa、b、c等の枝番号を付した亜項(段落を下げて明示する。)において行なうものとする(たとえば、後記102a)。

(008) 本文中に掲記するもののほか、一般的な略語は、次の例による。

1  法令名

刑訴法  刑事訴訟法(昭和二三年法律第一三一号)

刑訴規則 刑事訴訟規則(昭和二三年最高裁判所規則第三二号)

共助法  外国裁判所ノ嘱託ニ因ル共助法(明治三八年法律第六三号)

外為法  外国為替及び外国貿易管理法(昭和二四年法律第二二八号)

(注) なお、条項号の表記は、たとえば「第三百二十一条第一項第一号」を「三二一条一項一号」とする例による。

2  国名及び人名

米、米国    アメリカ合衆国

コーチヤン   アーチボルド・カール・コーチヤン

クラツター   ジヨン・ウイリアム・クラツター

ケラー     ウイリアム・D・ケラー

ステイーブンス アルバート・リー・ステイーブンス・ジユニア

フアーガスン  ウオーレン・J・フアーガスン

チヤントリー  ケネス・N・チヤントリー

クラーク    ロバート・G・クラーク

レイノルズ   キヤロライン・M・レイノルズ

小佐野     小佐野賢治

児玉      児玉誉士夫

大刀川     大刀川恒夫

3  意見書名

検察官第一次意見書     検察官作成の昭和五三年四月一三日付証拠調べ請求に関する意見書

検察官第二次意見書     検察官作成の昭和五三年六月二九日付証拠調べ請求に関する意見書

小佐野第一次意見書     主任弁護人黒澤長登作成名義の昭和五三年三月一六日付意見書

小佐野第一次意見書(補足) 主任弁護人黒澤長登作成名義の昭和五三年五月一八日付意見書の補足

小佐野第二次意見書     主任弁護人黒澤長登作成名義の昭和五三年六月二九日付意見書

児玉意見書         被告人児玉誉士夫ほか一名弁護団作成名義の昭和五三年三月九日付アーチボルド・C・コーチヤンほか一名にかかる嘱託尋問調書の証拠能力に関する意見書

第三節  本件嘱託証人尋問の経過

(009) 本件嘱託証人尋問及び被告人児玉、同大刀川に対する公訴提起の経過は、概ね次表のとおりである。(日付は、いずれも昭和五一年のそれであり、当該行為地におけるものを表わす。)。

番号

月・日(旬)

事項

1

3・13

児玉に対する第一次起訴(昭和四七年分所得についての所得税法違反)。

2

3・23

法務省、米司法省との間に「ロツキード・エアクラフト社問題に関する相互援助のための手続」締結。

3

4・13ころ

コーチヤン及びクラツター、東京地検検察官による米国内での事情聴取を拒否。

4

5・10

児玉に対する第二次起訴(昭和四八年中における外為法違反)。

5

そのころ

右3に同じ。

6

5・20

検事総長布施健、第一次不起訴宣明(別紙六参照)。

7

5・22

東京地検検事正高瀬禮二、不起訴宣明(別紙七参照。)。

8

同日

東京地検検察官吉永祐介、東京地裁裁判官に対し、コーチヤン、クラツターほか一名につき、刑訴法二二六条に基づき証人尋問を請求。併せて、右各証人尋問は米国の所轄裁判所に嘱託されたい旨及び嘱託書に不起訴宣明の告知、伝聞供述の許容、日本国検察官の立会、手続の非公開等、一〇項目の要望を記載されたい旨を要請。

9

同日

東京地裁裁判官石田恒良、前記6、7の宣明を確認のうえ、前記8の検察官の要望事項を付記し、米国管轄司法機関に対し、合衆国法典第二八編一七八一条以下に基づく前記証人三名の尋問の実施及び尋問調書の送付方を嘱託。

10

5・28

米国カリフオルニア州中央地区連邦地方検察庁検事正ケラーほか二名、前記証人三名の住居地を管轄する同地区連邦地方裁判所(以下「連邦地裁」という。)に対し、前記9の嘱託書を提出して嘱託尋問の実施方を申立。

11

同日

連邦地裁、右申立受理。同地裁所長ステイーブンス判事、合衆国法典第二八編一七八二条に基づき、同州上級裁判所退任判事チヤントリーを執行官に、司法省特別検事クラーク及び連邦検事レイノズルを副執行官にそれぞれ指名。

12

同日

副執行官レイノルズ、前記証人三名に対し、文書等提出命令付証人召喚状を発し、連邦地裁への出頭を命令。

13

6・4

児玉に対する第三次起訴(昭和四八年中における外為法違反)。

14

同日

前記証人三名、名自の弁護人を通じ、連邦地裁に対し、召喚状無効確認及び予備的に証人尋問期日の延期を申立。

15

6・10

ステイーブンス判事、召喚状無効確認の申立を棄却し、証人尋問の開始を6・18まで延期するよう命令。

16

6・15

前記証人三名、各自の弁護人を通じ、連邦第九巡回高等裁判所に対し、右命令につき上訴し、併せて連邦地裁に対し、右上訴の間、右命令の執行停止を申立。

17

同日

ステイーブンス判事、右15の命令その他本件証人尋問手続の一切の執行を6・25まで停止するよう命令。

18

6・17

副執行官クラークら、前記高等裁判所に対し、右執行停止を終結するよう申立。

19

6・23

前記高等裁判所、右申立を認容、前記執行停止命令を取り消し、嘱託書に従い直ちに証人尋問を開始すべき旨を命令。

20

6・25

執行官チヤントリー、コーチヤンを連邦地裁法廷に出頭させ、証言を命令。コーチヤン、日本において刑事訴追を受けるおそれを理由に証言を拒否。

21

同日

副執行官クラークら、前記6、7の宣明書謄本を執行官チヤントリーを通じてコーチヤンに交付、日本において刑事訴追を受けるおそれのないことを明示(なお、クラツターほか一名も、執行官に対し、同様証言拒否の意向を表明したため、同人らに対しても、右各宣明書謄本を交付。)。

22

7・6

連邦地裁所長代行フアーガスン判事、証人らの証言録取を直ちに開始すべきことを命令するとともに、執行官らに対し、すべての手続を非公開で行なうべきこと及び証人らがその証言において明らかにしたあらゆる情報を理由として、また、本件嘱託書に基づき証言した結果として入手されるあらゆる情報を理由として、日本国領土内において起訴されることがない旨を明確にした日本国最高裁判所の宣告又はルールを日本国政府が連邦地裁に提出するまで、本件嘱託書に基づく証言を伝達してはならないことをとくに指示し、さらに、かかる宣告又はルールを受理したときは、連邦地裁は、嘱託書及び本件証人の証言を右嘱託書を発した東京地裁裁判官に返戻するよう指示すること等を命令。

23

同日

コーチヤン、執行官チヤントリー主宰の連邦地裁法廷において宣誓のうえ、副執行官クラークの尋問に対し証言(コーチヤン証言調書第一巻)。

24

7・7

同右(同右調書第二巻)。

25

7・8

同右(同右調書第三巻)。

26

7・9

同右(同右調書第四巻)。

27

同日

クラツター、連邦地裁において執行官チヤントリーから証言を命ぜられ、米国及び日本国内における刑事訴追のおそれを理由に証言を拒否。

28

7・21

検事総長布施健、第二次不起訴宣明(別紙八)、宣明書を最高裁に提出。

29

7・24

最高裁判所裁判官会議、不起訴宣明(別紙九)。

30

同日

副執行官レイノルズ、前記28、29の各宣明書謄本をステイーブンス判事に提出。

31

同日

ステイーブンス判事、右各宣明書によって前記22のフアーガスン命令所定の要件は充たされたものと認め、嘱託書に従い、直ちに証言を録取するとともに、7・28正午までに、この命令に対する異議申立がない場合及び異議申立が棄却された場合は、証言調書を直ちに伝達すべき旨を命令。

32

7・28

コーチヤン及びクラツター、右命令に対する異議申立期限を徒過。

33

8・3

コーチヤン、前記証言調書を閲読、訂正のうえ各巻に署名。

34

8・4

同右。

35

8・6

連邦地裁、前記証言調書四巻を在ロスアンゼルス日本国総領事館へ交付。

36

8・7

東京地裁裁判官石田恒良、これを東京地検検察官に送付。

37

8・30

コーチヤン、前記23同様に証言(コーチヤン証言調書第五巻)。

38

8・31

同右(同右調書第六巻)。

39

9・2

児玉及び大刀川に対する起訴(昭和五〇ないし五一年中における外為法違反)。

40

9・13

ステイーブンス判事、ケラー検事正がクラツターにイミユニテイを付与するため連邦地裁に対してなした申立を容れて、クラツターに対し、合衆国法典第一八編六〇〇三条a項に基づく証言及び物証提出を命令。

41

9・21

クラツター、連邦地裁に対し、右命令について上訴の間、前記11記載の嘱託尋問実施命令の執行力の一部を停止するよう申立。

42

同日

クラツター、前記23同様に証言(クラツター証言調書第三巻)。

43

9・22

同右(同右調書第四巻)。

44

同日

ステイーブンス判事、前記41記載の申立の一部を認容し、10・2まで前記嘱託尋問実施命令中、証言調書の送付を命ずる部分の執行力を停止する旨命令。

45

9・23

クラツター、前記23同様に証言(クラツター証言調書第五巻)。

46

9・28

同右(同右調書第六巻)。

47

9・29

同右(同右調書第七巻)。

48

同日

クラツター、前記40記載の命令に対して上訴せず、連邦地裁に対し、クラツター証言調書の送付に異議はない旨申述。

49

同日

ステイーブンス判事、前記44記載の執行力一部停止命令を取消。

50

同日

コーチヤン、前記23同様に証言(コーチヤン証言調書第七巻)。

51

9・30

児玉に対する第五次起訴(昭和四九年中における外為法違反並びに昭和四八年分及び同四九年分所得についての各所得税法違反)。

52

10・12

東京地裁裁判官、コーチヤンが閲読して訂正のうえ署名したコーチヤン証言調書第五ないし七巻を、東京地検検察官に送付。

53

10・21

クラツター、クラツター証言調書第三ないし七巻を閲読、訂正のうえ各巻に署名。

54

10・27

東京地裁裁判官、右証言調書五巻を東京地検検察官に送付。

第一章  外国裁判所に対する証拠調嘱託の適法性

第一節  受訴裁判所の嘱託権限

第一款 本節の結論

(101) 我国の国内法上、受訴裁判所は、その訴訟指揮権に基づき、刑事事件につき、外国裁判所に対し証拠調の嘱託をなす権限を有するものと解するのが相当である。

第二款 問題検討の視点

(102) 本件嘱託証人尋問調書(以下、本章及び次章において「嘱託調書」という。)の証拠能力に関し、我国裁判所の外国裁判所に対する証拠調の嘱託権限の有無が問われている。きわめて当然のことながら、それは、我国内法上における権限であつて、その他の法領域におけるそれではない。およそ国際司法共助関係が成立するためには、嘱託国及び受託国の存在並びに両国間における国際関係が論理必然的に前提されるのであつて、このことは、国際司法共助に関する法律問題の提起されるべき場面として、嘱託国及び受託国の各国内法並びに国際法という三種の法領域の存することを意味するのである。この三者は互いにその次元を異にするものであるから、取り上げようとする法律問題がどの次元に属するものであるかを明確に認識しないでことを論ずるのは、徒らに混乱を招くのみであつて問題の解決に資するところ少なく、果ては自ら創り出した迷路の中で出口を見失う結果に陥りかねない。

(102a) たとえば、小佐野第一次意見書第二の二の1の(三)に引用の第二八回帝国議会衆議院における委員花井卓蔵の質問は、我国裁判所の国内法上の権限と国際法上の国家間の義務とを混同するものであつて、共助法は相手国が同法所定の要件を充たした場合に我国裁判所に受託事項を実施する権限を認めたに過ぎないのに、かかる場合に我国が受託事項を実施すべき国際法上の義務を生ずるものと誤解し、かくの如きは法律によらずして国際条約によるべきではあるまいかと論じているのであり、これに対し政府委員平沼騏一郎は、国内法と国際法の問題を正確に区別して答弁しているのである。

(103) 概括的に言えば、我国からの嘱託の場合、我国裁判所が外国裁判所に対する嘱託権限を有するか否かは我国内法上の問題、外国が右嘱託に応ずべき義務を負うか否かは国際法上の問題、外国裁判所が受託事務を実施する権限を有するか否かは外国法上の問題であり、外国からの嘱託の場合にはこの関係が逆になるものと考えてよい。但し、後者の場合にあつては、我共助法が相互主義の立場をとる結果、相互の保証の有無、すなわち、相手国が同一又は類似の事項につき我国裁判所の嘱託により法律上の輔助を為し得べき旨を保証し、相手国の国内法上これを実現し得る法制が整備されているか否か(国際法及び外国法上の問題)が、我国内法上の問題(共助法一条の二の一項六号の要件充足の有無)に転化することに留意すべきである。再び我国からの嘱託の場合につき考察すると、我国裁判所の立場から見た場合、嘱託権限の存否は我国内法上の法律問題であることは勿論であるが、国際法上及び外国法上の問題は、むしろ嘱託事項の事実上の実現の可能性に関連するものであつて、これから嘱託を行なおうとする場合においては最大の関心事たることを失わないけれども、既になされた嘱託尋問の結果につきその我国内法上の証拠能力を論ずる場面においては、関連が薄いものと言わざるを得ない。

(104) 以上の関係を念頭に置いたうえで、我国の国際司法共助の実情を概観し、次いで我国内法上における嘱託権限の存否につき検討することとする。

第三款 我国における国際司法共助の概況

(105) 我国の刑事実体法は国民及び外国人の国外犯処罰の規定を置いており、又、国民及び外国人の本邦への出入国は禁止されていないのであるから、刑事事件に関し、国外に在する者に対する訴訟書類の送達及び証拠調の必要性はこれを否定できないところである。他方、これらはいずれも裁判権の行使に属するところ、裁判権の行使は国家主権の発動の一態様であるから、外国の主権に属する外国領土内において直接これを行なうことはできず、国際司法共助の方法によらざるを得ないことは言うまでもない(他の方法として、外国に駐在する我国の大使、公使又は領事等にこれを嘱託することも可能であるが、当面の問題である外国裁判所に対する嘱託とはややその性格を異にするので、ここでは取り上げない。)。国際司法共助を実現するためには、我国裁判所が国内法上外国裁判所に対する嘱託権限を有することが大前提となることは言うまでもないが、それのみでは足らず、相手国との間に国際司法共助に関する合意の存すること、相手国の裁判所に我国からの嘱託を実施する国内法上の権限の存すること、両国の訴訟手続が相互の保証を可能とする程度に近似したものであることが必要であり、これらの諸条件が充たされた場合に、具体的必要に応じ、国際司法共助が行なわれるのである。

(106) 国際司法共助の対象となる行為は、訴訟事件に関する書類の送達及び証拠調である。刑事事件に関し、その実情を概観するに(刑事裁判資料第二二〇号、民事裁判資料第九二号及び下級裁判所民事裁判例集第二四巻第一~四号付録参照。)、現在までのところ、我国が国際司法共助に関する狭義の条約(treaty)を締結している国はない。しかし、国家間の法的拘束力を有する文書による合意は、その名称(たとえば協約convention、協定agreement、取決めarrangement、決定書act、議定書protocol、宣言declaration、規約covenant、憲章oharter等)、の如何にかかわらず、すべて広義の(あるいは実質的意義における)条約と呼ぶことができるのであつて、二国間における国際約束の締結にあつては口上書の交換による方法すなわち交換公文(exchange of notes)もその一方式とされているのである。刑事事件に関し、現在行なわれているのは、(一)右の交換公文による一般的な取決めによるものと、(二)具体的事実が発生した場合に個別的な外交折衝によるものの二種がある。前者の一般的取決めが締結されている国としては、スイス連邦、イタリア共和国、スリ・ランカ共和国、イラン帝国及びクエイト国の五ヶ国があり、右取決めに基づく共助の実施例としては、スイス連邦の嘱託による書類の送達一件、イタリア共和国の嘱託による書類の送達四件、同じく証拠調四件がある。後者の個別的外交折衝による実施例としては、我国からの嘱託によるドイツ連邦共和国に対する書類の送達五件、パキスタン回教共和国に対する書類の送達一件、アメリカ合衆国に対する証拠調一件(本件の場合を除く。)、我国に対する嘱託としてドイツ連邦共和国からの書類の送達一件、同じく証拠調二件、トルコ共和国からの証拠調一件等がある。

(106a) 小佐野第一次意見書第二の一の3は、本件証人尋問の嘱託には条約上の根拠がない旨主張するが、それが狭義の条約を必要とする趣旨であるとすれば、国際司法共助に関し、条約の意義をかく限定的に解すべき根拠は見当らない(共助は裁判所間の相互補助であつて国民の利害に直接関係しないから、国会による批准まで必要とするものとは解されない。)。さきに述べたように(前掲102ないし103参照。)、国際間の合意の存在は、両当事国間に相互に相手国からの嘱託に応ずべき義務を設定する意義を有するに過ぎず、嘱託国裁判所の国内法上における嘱託権限の存否とは無関係であるから(一方の当事国の国内法において、国際司法共助は条約の存する場合に限りこれを行ない得るものと規定しているようなときは格別、そうでない限りは、)、両当事国の欲する形式の合意でこと足りるのであつて、狭義の条約の形式をとる必要のないのはもとより、広義の条約(法的拘束力を有する文書による合意)である必要すらない。前述の交換公文による場合は、広義の条約に含まれると考えられるが、個別的外交折衝による場合は、嘱託国の側において、同一又は類似の事項につき受託国からの嘱託による共助をなし得べき旨の口上書を提出し(相互の保証)、受託国がこれを了承して受託事項を実施することにより両当事国間の合意が成立するのである。所論引用にかかる裁判所法逐条解説下巻一二〇頁(注3)も、「条約等に定めのある場合は」云々と述べているのであつて、狭義の条約に限定する趣旨でないことは明らかである。相互の保証が与えられないため、両当事国間に合意が成立しない場合であつても、そのことにより、嘱託国裁判所の嘱託権限の存否に何らの消長を来たさない(ただ、当該相手国との関係において、権限の行使が事実上阻まれるに過ぎない。)のであつて、嘱託権限の存否はもつぱら嘱託国の国内法のレベルにおいて判断すべきものである。

(107) 次に、米国との司法共助関係につき概観すると、さきに述べたように、同国との間には個別的な外交折衝による方法がとられている。昭和二八年一〇月八日駐日米国大使館は口上書第五四六号を以て我国外務省に対し、米国ワシントン州キング郡上級裁判所に係属中の民事事件に関し、本邦在住の証人の証言録取のため、我国裁判所の司法共助供与方を要請越したが、右口上書中に、合衆国政府は合衆国で日本の嘱託書の執行を共助することを正式に保証することができない旨の記載があつた(これは、嘱託裁判所が連邦でなく、州の裁判所であつたことと関連するものと思われる。)ので、共助法所定の相互主義の保証が満足されないものと考え、同大使館に口上書を以て照会したところ、同大使館は同年一二月二日付口上書第九〇五号を以て合衆国法典第二八編一七八二条を明示して合衆国連邦裁判所が日本国裁判所の嘱託に基づき司法共助をする権限を有する旨回答して来たので、外務省は、右回答によつて共助法の条件は充たされ、本件嘱託に応じてさしつかえないと考える旨の法務省の見解を得たうえで、最高裁判所に対し関係書類を一括送付し、これにより司法共助が実施され、爾来、民事事件に関し、米国裁判所の嘱託による証拠調の共助が重ねられた。次いで昭和三一年一月一九日東京地方裁判所八王子支部裁判官から、同庁係属の刑事事件(被告人カロル・E・ハツセルほか一名にかかる強盗被告事件)につき、米国ミズリー州セントルイス市在住の証人の証言録取方依頼があつたので、同年二月二三日最高裁判所事務総局刑事局長から外務省官房長あて右依頼を伝達したところ、外務大臣重光葵は、前記駐日米国大使館から口上書第九〇五号があるので、当然米国側において我国の嘱託に応ずるものと思考されるが、我国裁判所が米国裁判所に対し証人尋問を嘱託するのは刑事、民事を通じ今回が最初のケースであり、また、今後はかかるケースがかなりの数に上ることも予想されるとして、駐米特命全権大使を通じ嘱託手続、費用補償の細目につき米国側と協議し、その結果につき我国最高裁判所の同意を得て、本件及び今後生起し得るかかるケースについての嘱託の方法を定め、右方法により本件嘱託書を米国側に送達した(その後、証人の所在不明により本件嘱託は取り消された。)。かくして、民事、刑事を問わず、日米両国間の証拠調の共助に関しては、両国間の合意が成立しているのである。

(108) 繰り返し述べる如く、叙上の国際法上の関係は、直ちに我国裁判所の我国内法上の嘱託権限の存否と結び付くものではない。ただ我国裁判所が我国内法上外国裁判所に対する嘱託権限を有しないとすれば、外国との間に国際司法共助に関する国際約束を取り交すこと自体徒労に帰する訳であるから(相互主義を原則とする以上、外国裁判所からの嘱託の受入れを約束する場合でも、問題は同じである。)、刑事事件に関し、さきに見たように諸外国との間に司法共助の合意がなされていることは、我国の行政当局及び司法行政事務の当局者においては、我国裁判所の嘱託権限の存在を当然の前提として行動していることを意味するものである点だけを指摘しておこう。

第四款 我国内法上における嘱託権限の根拠

(109) 我国の実定法規上、我国裁判所が刑事事件につき外国裁判所に対し証拠調の嘱託をなす権限を創設的に認める明文の規定は見当らない。しかし、そのことから直ちに、我国内法上裁判所にかかる権限が認められていないとの結論を導くのは、いささか早計のそしりを免れない。蓋し、法は、裁判所の権限を規定するに際し、明示的にこれを創設する場合のほか、裁判所に一定の権限のあることを当然の前提として、その施行細則的な規定あるいは特則的規定のみを定め、以て当該権限の存在を間接的に示す立法技術を用いることがあるからである。

(110) たとえば、受訴裁判所が当該事件の審判に関し訴訟指揮権を有する旨を一般的、創設的に認める規定はないが、刑訴法、規則はそのことを当然の前提として「公判期日における訴訟の指揮は裁判長がこれを行う」べきものと定めるほか(法二九四条)、個別的事項ごとに、あるいはこれを裁判長の権限に委ね(規則一九六条、法二九一条二項・規則一九七条、法二九五条、法三一一条、規則二〇八条等)、あるいは裁判所の権限として留保する(法二八五条、法二九一条の二、法二九七条、法二九八条・規則一九〇条、法三〇九条、法三一三条等)旨を定めているのである。すなわち、ここでは、権限の存在根拠を直接明らかにする代りに、その認識根拠となる条文を置くことによつて権限の存在を間接的に示す方法が用いられているのである。裁判所の嘱託権限に関する弁護人の縷々の論旨は、その取り上げる個々の法条が嘱託権限の存在根拠たり得ないことを指摘する限度においては、首肯するに足りる点もあるが、そのことに急なあまり、それが嘱託権限の認識根拠たり得るか否かの点については、何ら論及するところがないのである(小佐野第一次意見書第二の一の2)。

(111) なるほど、共助法はもつぱら外国裁判所からの証拠調等の嘱託に関し、我国裁判所がこれを受け入れて施行することの権限及び要件を定めたものと見られること弁護人所論の如くであるが、同時に、それは、要件の一として相互の保証を掲げることにより、我国裁判所の外国裁判所に対する嘱託権限の存在を当然の前提とするものと言わざるを得ない。すなわち、共助法一条の二の一項六号は、一条一項所定の「外国裁判所ノ嘱託ニ因リ民事及刑事ノ訴訟事件ニ関スル書類ノ送達及証拠調ニ付法律上ノ輔助ヲ為ス」ための要件として、「嘱託裁判所所属国カ同一又ハ類似ノ事項ニ付日本ノ裁判所ノ嘱託ニ因リ法律上ノ輔助ヲ為シ得ヘキ旨ノ保証ヲ為シタルトキ」を掲げているのであつて、このことは、取りも直さず、「日本ノ裁判所ノ嘱託ニ因リ」相手国が「刑事ノ訴訟事件ニ関スル(中略)証拠調ニ付法律上ノ輔助ヲ為ス」ことのあり得べきこと、すなわち我国裁判所が刑事事件に関し外国裁判所に証拠調の嘱託をすることのあり得ること、ひいてはかかる法律上の権限を有することを前提とするものである。

(112) 共助法がかかる前提をとつていることは、その前提となるべき我国裁判所の嘱託権限が、既に他の法規、たとえば民事刑事の訴訟法等に創設的に示されている場合には、格段の意義を有しない。これに反し、他に権限の創設規定を欠く場合には、共助法がかかる前提をとつていること自体、権限の存在を認めるための重要な認識根拠となるものと言うことができよう。現行民事訴訟法(大正一五年法律第六一号による改正後のもの)一七五条は「外国ニ於テ為スヘキ送達ハ裁判長其ノ国ノ管轄官庁又ハ其ノ国ニ駐在スル日本ノ大使、公使又ハ領事ニ嘱託シテ之ヲ為ス」旨、同二四六条一項は「外国ニ於テ為スヘキ証拠調ハ其ノ国ノ管轄官庁又ハ其ノ国ニ駐在スル日本ノ大使、公使又ハ領事ニ之ヲ嘱託シテ為スコトヲ要ス」る旨、それぞれ規定しており、旧民事訴訟法(前掲法律による改正前の明治二三年法律第二九号)一五三条、二八一条にもこれと同旨の規定が置かれていた。なお、右のうち、送達に関する規定は、旧刑事訴訟法(大正一一年法律第七五号)八〇条、刑訴法五四条によつて刑事事件に準用されていることに留意を要する。弁護人は、これらの規定が嘱託権限の創設規定であると主張するかの如くであるが(小佐野前掲)、検察官指摘のとおり(検察官第一次意見書第三の一)、これらの規定は、裁判所に嘱託権限のあることを前提として、その行使の方法(送達については、裁判長への委任を含む。)を定めたに過ぎず、これらによつて嘱託権限を創設したものではない(共助法制定前は、旧民事訴訟法の各規定が存することによつて、嘱託権限の存在が間接的に認められたのであるから、これらの規定は嘱託権限の認識根拠ではあり得たと言える。)。民事刑事を問わず、嘱託権限を直接創設的に認めた規定は存在しないのである。

(113) 以上の関係を沿革的に整理すれば、次の如くである。すなわち、共助法(明治三八年法律第六三号)制定前の段階においては、裁判所の嘱託権限の存在を認識する根拠としては旧民事訴訟法一五三条、二一八条があるに止まり、刑事事件に関しては成文法上その手掛りとなる規定を欠いていたのである。後に見るように、旧民事訴訟法の右規定も、究極のところ、裁判所に固有の権限である訴訟指揮権に淵源を有するものとすれば、刑事訴訟についてもその理は同一であるべきであるが、成文法上そのことを認識すべき手掛りを欠いていたことは否めない。この時点において、裁判所の訴訟指揮権のみを論拠に刑事事件についての嘱託権限を論証することは(結果的には正当と考えられるが)、かなりの困難を伴つたものと想定される。民事刑事における成文上の規定の整備にこのような差異を生じたのは、私法上の取引の国際化が犯罪の国際化に先行したという社会事情の然らしめたものと理解すべきである。ともあれ、民事事件については嘱託権限の認識根拠たるべき規定が整備されていたのに、外国裁判所からの嘱託を受け入れるための法制が整備されていなかつたため、相互主義の壁に阻まれて我国裁判所からの嘱託も又その実効を期し得ないような情勢が共助法制定の契機となつたものであることは、弁護人所論のとおりである。さて、共助法は、直接には民事事件における必要が制定の動機となつたにせよ、「民事及刑事ノ訴訟事件」を区別することなく同列に取り扱う方針を貫いたため、刑事事件に関しては、共助法の規定そのものが嘱託権限の認識根拠として新たに重要な意義を有することとなつたのである。すなわち、刑事事件に関しても、嘱託権限は裁判所固有の権限として内在していたのであるが、これを認むべき成文法上の手掛りとして共助法の規定が与えられたと言うべきである。その後、書類の送達に関しては、旧刑事訴訟法八〇条、刑訴法五四条が民事訴訟法の規定を準用し、また、下級裁判所事務処理規則(昭和二三年最高裁判所規則第一六号)二七条が制定される等、認識根拠の数を増しているが、証拠調に関しては、右事情に変動はない。

(114) それでは、何故我国の成文法は、嘱託権限の認識根拠たるべき規定を置くに止め、その創設規定を置くことをしなかつたのであろうか。検察官は、嘱託権限の存在は「自明の理」であるという(検察官第一次意見書第三の一)。このような論法は、それ以上の理由の詮索を拒否するものであつて、嘱託権限の法的根拠なしと主張する議論とは、永遠に平行線を辿ることとなる。

(114a) 検察官は、さらに語を継いで「外国の裁判所に対する嘱託は、嘱託先の相手国が嘱託を受託することによつてはじめて実施が可能となる性質のものであつて、受託するか否かは、あくまでも相手国の判断にかかつているため、嘱託権限の創設に関する事項をあらかじめ国内法に規定することは法的に無意味である」(前同所)とすら言い切つているが、これはいささか言い過ぎであろう。国際司法共助は相手国のあることであるから、相手国との間に外交関係あるいは共助を可能とする共通の法制の基盤を欠くため、これが実現に至らない事例は多々あるのであるが、だからと言つて「嘱託権限の創設に関する事項をあらかじめ国内法に規定することは法的に無意味である」との結論は出て来ない。国際司法共助のため相手国と外交折衝を始めるためには、国内法上嘱託権限の存在することが前提とされなければならないのである。検察官の論法を以てしても、最大限言い得ることは、「国内法上嘱託権限の存在は自明の理であるから、敢えてその創設規定を置く必要がない」と言うに過ぎない。

(115) 論証不可能あるいは論証拒否とも取れる「自明の理」理論によらずにこの点を解明するとすれば、やはり裁判所固有の権限である訴訟指揮権にその論拠を見出すべきであろう。これは、もとより訴訟指揮権が外国の領土にまで及ぶという意味でないことは言うまでもない。書類の送達や証拠調に関し、これを外国裁判所又は外国に駐在する我国の大使等に嘱託して行なうという方法の選択が訴訟指揮権の作用であると言うに過ぎない。訴訟指揮とは、訴訟の審理に一定の秩序を与え、判決に到達するための裁判所の合目的的活動の謂であるから、その向けられるところはきわめて多岐に亘り、また、時勢の変化に応じ流動的な要素を持つ。従つて、成文法上、あらかじめその内容を網羅的かつ固定的に規定することには、性質上親しみ難いと言わざるを得ない。さればと言つて、訴訟指揮権の内容を何ら明示しないまま、「裁判所は、訴訟指揮権を有する」旨の一般的な権限創設規定を置いたとしても、かかる規定は内容空白であつて意味をなさない。そこで、法は、個別的事項に関し、裁判長に委ねるものと裁判所に留保するものとを分けて個個に規定する方法をとつたのであるが(前掲110参照)、これらの個別的規定の合計が訴訟指揮権の総体となるのではなく、訴訟指揮権の総体は、これらすべてを含んでさらに広いひろがりを持つものと言うべきであり、証拠開示命令に関する最高裁判所昭和四四年四月二五日第二小法廷決定(刑集二三巻四号二四八頁)が、「裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものである」云々と判示しているのは、まさにこの理を説示するものと言うべきである。右判例によれば、訴訟指揮権は、成文法規に何ら規定がない場合(たとえば、嘱託権限に関して言えば、共助法制定前の刑事関係におけるが如き)であつても、「法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり」、その空白を埋めることができるとされるのであるから、まして成文法上嘱託権限の認識根拠と目し得る規定の存在する以上、その存在根拠たる地位を占め得ることは明白と言わざるを得ない。すなわち、当裁判所の理解するところによれば、「訴訟指揮権が共助法の規定の存在根拠であり、共助法の規定が訴訟指揮権の存在の認識根拠である」という関係にあるのである。

(115a) 小佐野第一次意見書第二の一の4は、裁判所の訴訟指揮権を以てしても、本件嘱託はこれをなし得ないものと論じているが、その理由とするところは、東京地方裁判所裁判官のした本件嘱託の具体的訴訟指揮が裁判所に与えられた裁量権を著しく逸脱したものであると言うに帰するのであつて、裁判所の嘱託権限がその訴訟指揮権に由来するという一般的理論に対しては何ら論駁することがなく、むしろ弁護人自身、そのことを容認している節が窺われるのである(ここでは、一般的理論構成を問題としているのであるから、具体的訴訟指揮の当否について論ずることは筋違いである。なお、後記119a参照。)。

第二節  刑訴法二二六条所定の裁判官の嘱託権限

第一款 本節の結論

(116) 刑訴法二二六条所定の裁判官は、受訴裁判所と同様その所掌する証人尋問につき、その実施方を外国裁判所に嘱託する権限を有するものと解すべきである。

第二款 その理由

(117) 本件において、具体的に米国裁判所に対しコーチヤンら証人三名の尋問を嘱託したのは、東京地方検察庁検察官吉永祐介から刑訴法二二六条に基づき同人らの証人尋問を請求された東京地方裁判所裁判官石田恒良である。前節において、受訴裁判所の外国裁判所に対する嘱託権限の存在を論証したが、本件嘱託証人尋問の適法性を検討するためには、さらに進んで同条所定の裁判官の嘱託権限の存否を検討すべき筋合いである。

(118) 刑訴法二二八条一項は、「前二条の請求を受けた裁判官は、証人の尋問に関し、裁判所又は裁判長と同一の権限を有する。」と規定している。従つて、受訴裁判所において外国裁判所に対し証拠調の嘱託をなす権限を有するものと解される以上、刑訴法二二六条所定の裁判官において受訴裁判所と同一の嘱託権限を有することについては、最早多くを語るを要しないものと思われる。

(118a) 刑訴法一六三条二項が受託裁判官につき転嘱の権限を明文で規定していることとの対比において、かかる明示的文言を含まない同法二二八条一項につき、国内裁判所についての転嘱権限、ひいては外国裁判所に対する嘱託権限を否定する趣旨ではないかとの疑念を生ずることが予想されるが、右は明らかに法文を正解しないものと言わざるを得ない。すなわち、同法一六三条は、受命裁判官と受託裁判官とを一律に規定しているため、受命裁判官に委ねるのを相当としない事項を排除する趣旨で、その四項に「受命裁判官又は受託裁判官は、証人の尋問に関し、裁判所又は裁判長に属する処分をすることができる」ものと規定し、同法二二八条一項のように「裁判所又は裁判長と同一の権限を有する」旨の表現をことさらに避けている結果、受託裁判官についてはあらためて転嘱及び移送の権限(一六三条二項、三項)を規定せざるを得なくなつたに過ぎないのであつて、同法二二八条一項においては、かかる権限が当然包含されていることは明白と言わざるを得ない。

(119) 果して然らば、米国裁判所に対しコーチヤンら証人三名の証人尋問を嘱託した東京地方裁判所裁判官は、その訴訟指揮権に基づき、かかる嘱託をなす我国内法上の権限を有するものと言えるから、本件証人尋問の嘱託は適法に行なわれたものと解するのが相当である。

(119a) 小佐野第一次意見書第二の一の4の(三)は、本件証拠調の嘱託をした東京地方裁判所裁判官の具体的訴訟指揮が、(一)証人らに対する不起訴宣明の告知、(二)伝聞事項の許容、(三)日本国政府を代表する者としての連邦検事による尋問及び日本国検察官の立会等の許容、(四)連邦検事、日本国検察官及び証人らの弁護人以外の者の立会を禁止した非公開手続の要請等の諸点において、その裁量権の範囲を逸脱したものであると論難するが、右諸点に関しては、後記各章において詳細に論ずるところに鑑み、何らの違法を伴うものではないと解されるから、所論はその前提を欠き失当である。

第二章 いわゆる不起訴宣明と証人らの供述拒否権

第一節  問題の展望

(201) 本件嘱託証人尋問の過程において行なわれた検察当局者及び最高裁判所裁判官会議による「不起訴宣明」(その本質については後に解明するとおりであるが、今暫くこの表現を藉りることとする。)が我国の刑事訴訟手続上きわめて異例のことに属し、世人の関心を惹いたことは否めないところである。

(202) しかし、徒らにそのことのみに目を奪われ、検察当局者による不起訴宣明が刑訴法二四八条所定の起訴猶予の要件を充足するか、最高裁判所による宣明がその司法行政権の範囲に属するかといつた末梢的問題の詮索に直ちに走ることは、問題解明への正しいアプローチの仕方とは思われない。その前に、より大局的見地から、この問題が憲法的次元において本件嘱託調書の証拠能力とどのような関わり合いをもつかを展望しておく必要がある。

(203) 問題の核心は、検察当局者がコーチヤンら三名の証人に対して不起訴を宣明した点にあるのではなくて、かかる不起訴宣明の下に同人らに証言義務を負わせ、その供述を強制的に取得した点に在るのである。不起訴宣明それ自体は、証人らに利益を与えただけのことであつて、その手続にどのような瑕疵があろうと、証人らが免責されたことによつて本件被告人らの訴訟上の権利には何ら失われるところがないのである。問題は、証人らの憲法上の特権すなわち供述拒否権が侵害されたか、侵害があつたとして、そのことを主張する適格(Standing)を有する者は証人らに限られるか、本件被告人らもその適格を有するかといつた点に在るのである。次節以下において、本件不起訴宣明についてやや詳細な検討を試みるが、それは、不起訴宣明それ自体の分析を最終目的とするものではなく、照準はあくまで証人らの供述拒否権の帰趨に定められていることを忘れてはならない。

(204) ここで、証人らの憲法上の特権の準拠法につき、若干の考察を加えておこう。もとより、当裁判所は、本件嘱託調書の我国内法上の証拠能力を検討しているのであるから、そこで直接問題になるのは、日本国憲法所定の特権の侵害の有無である。証人らがロスアンゼルスの法廷において、日本国内法に基づく日本国内における訴追のおそれを理由に、日本国憲法三八条一項所定の供述拒否権を援用できたか否かにつき考察するに、日本国憲法の場所的適用範囲が日本国の領土内に限定され、米国領土内に及ばないことは言うまでもないが、本件嘱託証人尋問の米国内法上の根拠規定である合衆国法典第二八編一七八二条(a)項は、外国裁判所等からの嘱託による尋問に際し、証人は「法律上適用され得る特権」(“any legally applicable privilege”)を主張できる旨を定めており、これには嘱託国の法律上認められる特権をも含むものと解されるから、同条項を介することによつて、証人らは日本国憲法三八条一項及びこれに基づく日本国刑訴法上の供述拒否権を援用することができたものと解され、また、現にそのような援用がなされているのである。これに対し、米連邦最高裁判所は、連邦憲法修正五条に定める特権に関し、証人らは「外国での訴追からは保護されず、イミユニテイも認められない」との立場をとつているものの如くである(ブラウン対ウオーカー事件Brownvs Walker 161 vs 591,1896参照。もつとも、外国裁判所等からの嘱託尋問に関しても、同一の見解が維持されるか否かは、未知数である。)。さらに、米国内法に基づく米国内における訴追のおそれを理由に連邦憲法修正五条所定の特権を援用すること(現にクラツター証人が行なつた如く)は、仮に本件嘱託調書を米国内において証拠方法として利用する途があつたとして、その米国内法上の証拠能力を論ずる際に問題とされ得ることがらであつて、さしあたり論点となすに由ないところである。

(205) 憲法三八条一項所定の供述拒否権は、証人の意思によつて、これを援用しないことができるということは言うまでもない(それは、これを有するものが援用してはじめて顧慮される特権privilegeであり、通常の権利rightとは異なるのであつて、その不行使は、これを敢えて権利の放棄とまで構成する必要はない。)。全面的黙秘権を認められている被告人ですら、この殆んどはこれを行使することなく、公判廷で全部自白している実情に照らしても、そのことは容易に首肯できよう。然らば、適当な代償を与えることによつて、証人の意思に反して供述拒否権を剥奪することはできるであろうか。適当な代償とは、証拠としての利用禁止(use immunity)で足りるか証人の不訴追(transactional immunity)まで必要か。適当な代償を与える権限を有する機関、与えるための基準はどうか。想定されるこれらの問題点に関する検討結果を今ここで展開しようとは思わない。それは、恐らく立法機関の判断に委ねるのを相当とするであろうから。後に展開する如く、本件嘱託調書の証拠能力に関しては、本件の具体的場合において証人らの供述拒否権が如何にして消滅したか、そしてそれは適憲、適法に行なわれたかの判断は、右のような論点に立ち入ることなく、これをなすことができるのである。いわゆる「不起訴宣明」の法的性格を解明することによつて、それは可能となる。

第二節  いわゆる不起訴宣明の法的性格

第一款 本節の結論

(206) 本件各不起訴宣明のうち、法律関係に変動を生じる処分的意義を有するのは、東京地方検察庁検事正(以下「検事正」という。)高瀬禮二名義の昭和五一年五月二二日付「宣明書」と題する書面によるものであつて、その法的性格の本質は、検察官による公訴権放棄の意思表示と解するのが相当である。他の三者については、そのような処分的意義は認められず、最高検察庁検事総長(以下「検事総長」という。)布施健名義の同月二〇日付「宣明書」と題する書面によるもの(以下検事総長の「第一次宣明」という。)は、検事正に対し、あらかじめ公訴権放棄の処分をなすべき旨の指示をなしていた事実の表明、同年七月二一日付「宣明書」と題する書面によるもの(以下同「第二次宣明」という。)は、検事正が指示に従い右処分をしたことの確認及び是認並びにその法的効果に関する意見の表明であり、最高裁判所裁判官会議の同月二四日付「最高裁判所宣明書」と題する書面によるものは、右検事総長の第二次宣明(並びにそこに引用された検事正の宣明及び検事総長の第一次宣明)の確認の性格を有するものであつて最高裁判所裁判官会議の有する司法行政権に基づいてなされたものと解すべきである。以下、その理由につき分説する。

第二款 検事正の宣明の法的性格――公訴権の放棄と解すべき理由

(207) 検事正の不起訴宣明こそ、コーチヤンら証人三名の供述拒否権の帰趨、消長に直接法律的関連を有するものであり、その本質を解明することが本章全体の問題解決の鍵となるものであつて、これにより、不起訴宣明をめぐる錯雑した論議の大半は一挙に解決をみることとなるのである。

(208) 検事正の宣明書には、「右三名を日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予する」旨明示され、これに先行する検事総長の第一次宣明書にも、「右三名を日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予するよう指示している」旨の文言が用いられており、これを卒然と読むときは、検事正による宣明の本質は、刑訴法二四八条所定の起訴猶予処分そのものであるように理解されがちである。しかし、少しく検討を試みれば、右のような文言にもかかわらず、右宣明のなされた時点において起訴猶予処分がなされたものでないことはもとより、将来における起訴猶予処分の予告ないしは予約がなされたものでもないこと、右不起訴宣明はおよそ刑訴法二四八条所定の起訴猶予処分とは似而非なるものであることが、たちどころに了解できる筈である。

(209) まず、右宣明の時点において起訴猶予処分がなされたものでないことは、前記引用部分がいずれも現在形で断定的な表現であるかのように見えるものの、その英訳文を参照すればかかる趣旨でないことが明瞭に看取され(“the three witnesses……shall not be instituted any prosecution against them in connection with their testimonies in accordance with Article 248 of the Rule of Criminal procedure of Japan……”)、かつ、右引用部分の直前に、いずれも各証人の尋問を現に請求中であることに言及したうえ、「右各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に、日本国の法規に牴触するものがあるとしても、証言した事項については、」(“even though there would be any possible testimonies made by these three witnesses and any possible information that be gathered in future from those testimo-nies and which may incriminate them against any law of Japan”)との仮定的文言が付加されていることに照らし、文理上も明らかであると言わざるを得ない。すなわち、起訴猶予処分の対象となり得べき証人らに対する被疑事実そのものすら、抽衆的な形で特定こそされているものの、未だその存在及び内容については不確定の状態に置かれていたものと言えるのである。

(209a) ちなみに、検察官は、本件宣明当時、コーチヤンら証人三名に対するある程度の容疑の存在を把握していたとするものの(検察官第一次意見書第一の一の1参照。)、右容疑につき検事認知による立件に伴う手続上の措置、被疑事件の捜査(本件嘱託証人尋問自体がこれに当らないことは、論をまたない。)、捜査終結後の不起訴処分に伴う不起訴裁定書の作成等、起訴猶予処分の前提として、あるいはこれに随伴するものとして、検察実務上常識化されている諸手続が何ら履践された形跡がないことを明らかに争わず(たとえば、昭和五二年一二月二一日付被告人小佐野関係における「釈明書」四2参照。)、その結果、「本件不起訴の宣明は、宣明書の記載から明らかなように、宣明書を発した時点においてコーチヤンら三名を起訴猶予処分に付したのではな」い旨を自認するに至つているのである(前掲第一次意見書第一の二参照。)。

(210) 本件宣明が、そのなされた時点における起訴猶予処分そのものでないとすれば、これを将来における起訴猶予処分の予告ないし予約と解する余地はないであろうか。

(210a) ちなみに、検察官第一次意見書は「不起訴の確約」(「起訴猶予の確約」でない点に留意を要する。)、小佐野第一次意見書は「起訴猶予の約束」との表現を用いており、いずれも予約に近いニユアンスをもつている。

(211) この場合、起訴猶予処分の単なる予測ないし予想ということであれば、ことは簡単である。それは、事実上のものに過ぎず、法律上は無害であると同時に無意味であるから。これに対し、予告ないし予約と言うからには(そのような観念が、そもそも刑事訴訟法手続において受け容れられるものであるか否かは暫く措くとしても)、それのなされた時点で既に将来における起訴猶予処分が確定していることが当然の前提となろう(不確定のものに関する予告、予約はあり得ず、それは予測ないし予想に止まるであろうから。)。そうだとすれば、宣明のなされた時点で起訴猶予処分そのものがなされたと解することの不合理さが、そのままこの場合にも当てはまることとなる。およそ捜査完結前においては、被疑事件の起訴不起訴、不起訴の場合の裁定理由の如何は未確定である筈である(そもそも被疑事件が罪となるか、嫌疑が十分であるかが確定されないのであるから。)。かかる時点において、不起訴処分、就中、起訴猶予という結論が選択され、確定されるということは、およそ捜査の常道からかけ離れたものと評さざるを得ない。そもそも起訴猶予処分は、犯罪の嫌疑が十分な場合において、一般予防的、特別予防的標準を考慮し、被疑者に対する刑事政策的見地に立つてなされるものであるが、後に見るように、本件不起訴宣明が決断されるに至つたのは、公益対公益の比較衡量上の見地からであつて、コーチヤンらに対する刑事政策的配慮に基づくものでないことは明らかである。このことは、本件不起訴宣明が、単に形式的に起訴猶予処分の方式に合致しないとか、その手続が履践されていないと言つた問題を含むものに止まらず、むしろ起訴猶予処分とは本質的に異なつた発想、基準の下になされたものであることを物語るものと言えよう。

(211a) 検事正の宣明書が「起訴を猶予する」という文言を使用していることを手掛りに、本件不起訴宣明をあくまで瑕疵ある起訴猶予処分(その予告ないし予約とする見方を含め)と見たうえで、その瑕疵の程度が嘱託調書の証拠能力に影響を及ぼすか、捜査の進展に伴い、嫌疑及び起訴猶予を相当とする情状の存在が明らかとなつた段階で瑕疵の治癒が認められるかと言つた角度から問題を検討することも考えられないではない。しかし、当裁判所は、これまでに指摘し、これから展開するすべての論点を綜合して、そのような理論構成は本件不起訴宣明の本質に迫るものではないとの判断に達したのである。

(212) むしろ、本件不起訴宣明は、被疑事件についての嫌疑の有無、訴訟条件及び起訴価値の存否如何を超越して、かつ、これらについての捜査完結前の段階において、より高次の行政的な決断に基づいて、被疑者(又は被疑者たり得べき者)に対する不起訴を決定し、これを外部に表明した点にその訴訟法的特質を見出し得るのである。そうだとすれば、これは到底起訴猶予処分又はその予告若しくは予約と言つた小さな尺度で測り得べきことがらではなく、より深く検察権ないし公訴権の本質に触れる省察を必要とする問題であると言わなければならない。

(212a) 本件不起訴宣明が起訴猶予処分の予告ないし予約であるとすれば、後日起訴猶予処分がなされて然るべきところ、本件被告人らを含むいわゆるロツキード事件関係者に対する起訴が完了した今日の時点に至るまで、コーチヤンら三名に対し起訴猶予処分がなされた事跡を窺い得ないのであり、また、検事正の宣明書及び検事総長の第一次宣明書中に見られる「この意思決定は、当職の後継者を拘束するものである」旨の文言は何ら法的拘束力を有しない空文に過ぎないこととなるにもかかわらず(起訴猶予処分、ましてその予告ないし予約にかかる拘束力のないことは、弁護人の指摘をまつまでもなく明らかである。)、敢えてこのような表現がなされていることの真意は、本件不起訴宣明が、表面上用いられている字句の如何にかかわらず、単なる起訴猶予処分を超える法律的実体を具えるものであることを暗示したものと認むべきである。さらに付言するならば、検察官が、検察官第一次意見書以降、本件不起訴宣明につき、「本件不起訴の確約」という表現を用い、「起訴猶予」という用語をことさら避けているように窺われるのも、検察官自身、もはや起訴猶予の観念では本件不起訴宣明を説明し切れないことを自覚していることの現われと目される。

(213) 以上の考察から言えることは、本件不起訴宣明は、証人らに対し、起訴を猶予することに意味があるのではなく、端的に公訴を提起しないことに意義があるということである。この点で興味を惹かれるのは、さきに引用したように(前記208参照。)、検事正の宣明書及び検事総長の第一次宣明書においては、「日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予する」との文言が用いられているのに対し、検事総長の第二次宣明書及び最高裁判所の宣明書においてはその表現が捨て去られ、「公訴を提起しない」又は「起訴しない」との言い廻しに変つて来ている点である。中でも、検事総長の第二次宣明書においては、検事正の宣明書及び検事総長の第一次宣明書の記載を引用するくだりでは「日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予する」旨の表現を踏襲しながら、これを再確認するに当つては、「公訴が提起されることは全くあり得ない」、「公訴を提起しないことを確約する」旨の表現に切り替えており、しかも、両者の間には同一性が保たれていることを前提とした構文となつている。すなわち、右によれば、検事正の宣明書等において「起訴を猶予する」との文言が用いられていたとしても、それは、「公訴を提起しない」ことと同意義であるとする趣旨が明瞭に看取されるのである(さらに進んで最高裁判所の宣明書においては、刑訴法二四八条も起訴猶予の文言も一切用いられていない点に留意すべきである。)。

(214) それでは、検察官が具体的被疑事件に関し「公訴を提起しない」旨を宣明するということは、これを訴訟法上どのように評価すべきであろうか。まず考えられるのは、公訴権不行使の一方的意思表示ないし約束である。しかし、公訴権の不行使というのは継続的事実状態であり、検察官の意思表示の有無に関わりなく、現実に公訴が提起されるまでの間は、(少なくとも外部から観察する限り)その状態がそのまま継続するのであるから、それだけのことを明らかにするためにわざわざ宣明書を発するのは無意味である。公訴権不行使の宣明に意味があるのは、(一)将来のある時点までは公訴を提起しないという期限付の場合、あるいは(二)将来一定事由が発生するまでは公訴を提起しないという条件付の場合、又は(三)将来永久に(少なくとも公訴時効完成時までに)公訴を提起しないことをあらかじめ明らかにしている場合である。公訴権の行使を期限又は条件にかからしめることができるか否かは大いに疑問の存するところであるが、少なくとも本件不起訴宣明がかかる趣旨のものでないことは明白である。他方、公訴権の存在はあくまで前提としながら、その行使を、将来における如何なる事情の変更(たとえば、日本国亜米利加合衆国犯罪人引渡条約の改正により、従来引渡不能であつたものが可能となるとか、沖繩返還における如く、従来我国の主権の行使が制約されていた地域につきその制約が解かれるといつた事態が考えられる。)をも顧慮することなく、無条件かつ無期限に行なわない旨の意思決定をなし、剰つさえ、これに後継者を拘束する効力まで賦与することが、現行刑訴法上可能であるかについても多大の疑念なしとしない。かくて、本件不起訴宣明を公訴権不行使の意思表示ないし約束と見る構成は破綻を免れない。

(215) 残された唯一の構成は、本件不起訴宣明を、検察官による公訴権放棄の意思表示と見ることである(前記の無条件、無期限の公訴権不行使の意思表示が、公訴権の存在とその行使とを分離し、あくまでその存続を前提としながらこれを行使しないという不自然な構成をとるのに対し、公訴権放棄の意思表示は、端的に意思表示のなされた時点で公訴権そのものを消滅させる点に差異がある。)。これは、当裁判所が、本件不起訴宣明の法的性質を省察した場合において、むしろその健全な法曹としての感覚により最初に到達した結論であつて、上記209ないし214において縷々の論議を費したのは、この最初の結論と相容れない他の結論の可能性がないことを、消去法を用いて検証して見たに過ぎない。かく解することによつてはじめて、本件不起訴宣明が、宣明の当事者のみならずその後継者まで拘束する旨述べていることが、一見法的に不可能なことを約束しているように見えるが、その実法律上当然の効果を表現しているに過ぎない所以を正当に理解することができ、また、それが証人らの供述拒否権の消滅に結び付くものであることも明らかとなるのである。

(215a) ちなみに、児玉意見書第二の二は、何らの論証を経ることなく、本件不起訴宣明の本質を「公訴権を事前に放棄する旨を明らかにしたもの」であると捉え、当裁判所と偶々一致する見解を述べているが、これは、いわばコロンブスの卵を、それと気付かないままに割つているものと評することができよう。

(216) そうだとすれば、本件不起訴宣明に当り、何故端的に公訴権放棄の用語を用いず、刑訴法二四八条を援用しつつ恰もそれが起訴猶予処分であるかの如き口吻を用いたのであろうかとの疑念を生ずるであろう。しかし、公訴権放棄という観念は、従来検察当局者はもとより広く法曹実務家の間においても殆ど用いられたことがないものであるから、卒然としてこのような表現を用いることは無用の誤解、混乱を招くのみならず、それが適憲適法に行なわれ得ることについて次節に述べるような詳細な論理を展開する必要があり、簡明迅速を尊ぶ宣明書中に用いるに相応しくなかつたことが考えられ、また、刑訴法二四八条を援用したことは、公訴権放棄の実定法上の根拠を求めるについて同条がきわめて重要な役割を果たしていることに鑑み、結果的には正当であつたものと評すべきである。「起訴を猶予する」という表現や「後継者を拘束する」という言い廻しが用いられているのは、刑訴法二四八条を援用したことに符節を合わせたに過ぎず、その真意は公訴権放棄とその法律上の効果を表現するにあつたものと認めるのが相当である。

第三款 検事総長の宣明の法的性格

(217) 検事総長の宣明は前後二回に亘つてなされているが、そのうち検事正の宣明に先立つてなされた第一次宣明は、検事総長から検事正に対する指示(検察庁法七条一項)の内容を明らかにしたものである。ここに「起訴を猶予するよう」指示しているとあるのが公訴権放棄の指示の趣旨に解すべきことについては、前款の説明から自ずと明らかであろう。公訴権放棄は、公訴の取消(刑訴法二五七条)にもまして、検察官の職務遂行上きわめて重大な事項であるから、検察内部の手続としては当然担当検察官の一存でこれを決することは許されず、上司に処分請訓する必要があるものと考えられ、本件の具体的場合においては、その重大性に鑑み検察の最高責任者である検事総長自らこれを決意し、具体的事件処理の唯一の機関である東京地方検察庁の最高責任者である検事正にその旨の指示を与え、かつ、そのことを対外的に表明したのであつて、本件宣明それ自体は処分的性格を有しないが、検事正のした前記処分が検察内部の総一的意思に基づくものであることを明らかにしたものであると言うことができる。

(218) 次に検事総長の第二次宣明は、米カリフオルニア州中央地区連邦地方裁判所所長代行のフアーガスン判事が「本件証人が(中略)日本国領土内において起訴されることがない旨を明確にした日本国最高裁判所の宣告又はルール(an order or a rule)を日本国政府が当裁判所に提出するまで、本件嘱託書に基づく証言を伝達してはならないことを特に指示する」旨の決定を行なつたことに対応するものであつて、我国の最高裁判所が右フアーガスン決定の趣旨に副う宣明を発することを容易ならしめる目的で発せられたものと解され、その内容とするところは、さきに検事総長から検事正に対してなした公訴権放棄の指示及び右指示に基づき検事正のなした公訴権放棄の意思表示並びに右によつて生じた法的効果の確認(これは、検事正がなお本件につき公訴権を有するにもかかわらずその発動をしない旨の意思の確認ではなく、公訴権放棄の結果、検事正において最早公訴権発動の余地がなくなつた事実の確認であると解すべきであり、従つて、宣明書末段に、検事総長自らの意思として改めて証人らに対し公訴を提起しないことを確約する旨の言明をなしている点も、新たな意思表示と目すべきではなく、既に生じた法的効果を踏まえて、いわば当然の結果を決意表明の形式を藉りて強調したに過ぎないものと解すべきである。)の性質を有するものと解される。

第四款 最高裁判所の宣明の法的性格

(219) 叙上の説明から明らかなように、我国内法上検察官の公訴権及び証人らの供述拒否権の消長に何らかの訴訟法上の効果を及ぼすという観点からするならば、最高裁判所の宣明は全く不必要であつたものと言わざるを得ない。蓋し、既に検事正の公訴権放棄の意思表示により証人らに対する公訴権は消滅し、右に伴い、証人らの供述拒否権もまた消滅に帰しているのであるから。にもかかわらず、最高裁判所の宣明が必要とされ、現実にこれが行なわれた所以は、もつぱら米国内法上の要請を充足する必要があつた故にほかならない。

(220) すなわち、フアーガスン判事の意見によれば、本件嘱託尋問を施行するにつき、合衆国法典第二八編一七八二条(a)項によつて援用を認められる日本国憲法三八条一項等所定の証人らの供述拒否権を排除するためには、検事正の宣明(当裁判所の見解によれば、これのみで十分と認められる。)及び検事総長の第一次宣明では足りず、証人らの不起訴を明確にした我国最高裁判所の宣告又はルールが必要であると言うのであり、同判事の右要請を充たさない限り、嘱託裁判所である東京地方裁判所裁判官としては、事実上嘱託調書の送付を受けられない状態に置かれていたのである。我国内法上の解釈としては、右フアーガンス判事の意見には大いに異論の余地のあるところであるが、受託国の権限ある裁判官が受託国の国内法上受託事件の処理に関し必要であると裁定した事項に関しては、嘱託国としては最大限にこれを尊重すべきであることは論をまたない。蓋し、そうでなければ、受託国側の国内法上の事情を理由に受託事項の施行が拒否される結果となり、嘱託国としては、その嘱託の実効を期し得ないこととなるのであるから。他方、フアーガスン判事の要請に基づき我国最高裁判所が宣明を発した以上、右宣明が果して同判事の要請に適合するか否かについては、もつぱら要請者側における判断を尊重すべきであり、同連邦地方裁判所長ステイーブンス判事において、右宣明がフアーガスン判事の要請を充たすものであると判定したからには、米国内法上の問題につき当裁判所として右判定の当否を云々すべき筋合いではないのである。蓋し、右判定が米国内法に照らし、よしや誤つていたとしても、それは米国内法上瑕疵のある証人尋問が施行され又はその結果が誤つて送付されたと言うに止まり、我国内法上証人らの供述拒否権の侵害がなつたと認められる以上(その認定こそ当裁判所の権限と職責に属するところである。)、米国内法上の瑕疵は、本件嘱託調書の我国内法上における証拠能力の存否に直接影響を及ぼすことはないからである(民事訴訟法二六四条二項は当然の事理を表明したものであつて、かかる規定を欠く刑事訴訟にも、その論理は当然に妥当するものと言うべきである。)。

(221) 残された問題は、最高裁判所裁判官会議がフアーガスン判事の要請に対し本件宣明を以てこれに応えたものであるとして、最高裁判所にそのような行為に出る職務権限が認められるかという点である。さきに見たように、東京地方裁判所裁判官の嘱託にかかる本件嘱託尋問は、フアーガスン裁定により、最高裁判所が同判事の要請に副う行動に出ない限り、その実効を期し得ない状態下に置かれていたのである。およそ司法行政とは、「広義の司法裁判権の行使や裁判制度の運営を適正かつ円滑に行なわせるとともに、裁判官その他裁判所に属する職員を監督するために必要な一切の行政作用をいう」(最高裁判所事務総局編「裁判所法逐条解説」下巻一二五頁参照。)のであるから、下級裁判所の裁判権行使の一態様である本件嘱託尋問が、受託国側の国内法上の事情によりその実効を期し得ない状況下に置かれており、最高裁判所が受託国側の要請に副う行動に出ることによつて右状況が打開される以上、最高裁判所において右行動に出ることは、下級裁判所の裁判権の行使を円滑ならしめるという意味において、その司法行政権の範囲に属することは明白と言わなければならない。また、右宣明の内容は、検事総長の第二次宣明並びにこれに引用された検事正の宣明及び検事総長の第一次宣明の内容を確認したに過ぎず、本来裁判所の権限に属しない公訴権の行使につき容喙した趣旨のものではない。従つて、右宣明は、その目的において司法行政権の範囲に属し、その内容において検察庁の権限を侵すものでないから、最高裁判所裁判官会議の職務権限の範囲に属することが明らかであると言うべきである。

第三節  公訴権放棄の法律上の根拠

第一款 本節の結論

(222) 検察官は、具体的被疑事件につき、合理的かつ真にやむを得ない必要の存するときは、その訴追裁量権に基づき、適法に公訴権の放棄をなし得るものと解するのが相当である。以下、その理由を開陳する。

第二款 その理論構成

(223) 憲法上公訴権の放棄を禁止する規定は見当らない。憲法三二条は、刑事事件に関して言えば、裁判所以外の機関によつて裁判を受け、刑罰に処せられることがないと言う意味に過ぎないのであつて、被疑者の側から積極的に刑事裁判を受ける権利すなわち公訴提起を要求する権利を保障したものではなく、憲法三一条についても、またこれと同断である。従つて、ことは法律のレベルにおいて解決のできる問題である。とは言え、公訴権放棄という理論構成をとることがきわめて大胆な仮説であり、既存の法律知識に対する挑戦であることは、当裁判所としても充分念頭に置いているところであり、本節及び次節において、能う限りの論点を吟味し、以てその正当性を論証するにやぶさかではない。

(224) 古く沿革をたどれば、治罪法(明治一三年太政官布告第三七号)九条及び旧々刑事訴訟法(明治二三年法律第九六号)六条は、公訴権の消滅事由をその各号に列挙していたのであるが、旧刑事訴訟法(大正一一年法律第七五号)及び現行刑事訴訟法(昭和二三年法律第一三一号)にあつてはそのことなく、従つて、公訴権消滅事由の一つとして検察官による公訴権放棄を数えることができるか否かは、訴訟法全体を通じての法解釈に委ねられたものと見ることができる。

(225) 現行刑訴法は、国家訴追主義、起訴独占主義(二四七条)をとり、かつ、起訴便宜主義(二四八条)をとることによつて、検察官に対し、きわめて広汎な訴追裁量権を賦与している(その例外は、二六四条及び少年法四五条五号等)。我国の検察官は、外国の検察官、たとえば、原則として起訴法定主義(Strafprozessor-dnung§152II)をとり、検察官が情を知りながら処罰を受けるべき者を訴追しない場合には、職務上処罰阻止罪(Strafvereitelung im Amt, Strafgesetzbuch§258 a I)として六月以上五年以下の自由刑に処する旨の罰則まであるドイツ連邦共和国の検察官、あるいは、起訴便宜主義(Codeé de procedure pénale§40I)をとりながら、一旦公訴を提起した以上公訴の取消が許されない(不変更主義)フランス共和国の検察官に比し、きわめて広汎な裁量権を与えられているものと言うべきである。そして、さらに注目すべきことには、起訴便宜主義が我国の法制史上明文を以て規定されたのは、旧刑事訴訟法(施行は大正一三年一月一日)以降であるにもかかわらず、これより先、明治末期以降、実際上起訴便宜主義が行なわれて来たのである(団藤重光「新刑事訴訟法綱要」七訂版三六九頁参照。)。

(226) 組織法上、「検察官は、刑事について公訴を行」なうべきものと定められているが(検察庁法四条)、ここに公訴を行なうとは、公訴を提起しない処分を含むものであること、刑訴法の規定(二四八条)に照らし明らかである。そして、公訴権の行使が個人の基本的人権に対し重大な影響を及ぼすものであるのに対し、公訴権の不行使は、公益上の利害を生ずるおそれはあるにせよ、こと個人の基本的人権に関する限り、直接影響を及ぼすところがない。従つて、他の公益を優先させる必要のある場合には、公訴権の不行使を認めても弊害を生ずるおそれは少ないものと言うべきである。一般に、公訴権の行使に関しては厳格な規制が必要であるが、その不行使に関しては、その規制はやや緩やかであつて差し支えないものと言うことができよう。このことは、法制上も認められているところであつて、たとえば、起訴独占主義(刑訴法二四七条)の例外は、公訴提起の方向に関しては、限定された特殊の犯罪につき裁判上の準起訴手続(同二六二条以下)が認められているのに過ぎないのに対し、公訴不提起の方向に関しては、国税犯則取締法一四条に定める国税局長又は税務署長の通告処分(通告履行の効果につき同法一六条)、道路交通法一二七条に定める警察本部長の通告処分(通告履行の効果につき同法一三〇条)があり、通告処分が履行された場合には、検察官の意思如何に関わりなく、公訴権消滅の効果を生じるのである。さらに、訴訟条件とされる告訴、告発、請求にあつては、告訴権者等が告訴等をなさず、又はこれを取り消すことにより、検察官の公訴権の行使に影響を及ぼす(直接的には、公訴の提起が無効となるのであるが、ひいては公訴時効の完成により公訴権そのものが消滅する。)ことができるのである。すなわち、起訴独占主義は、まさに起訴の独占であつて不起訴の独占ではないのである。

(227) 右に見たのは、検察官の意思如何に関わりなく公訴権消滅の効果が招来される場合であるが、検察官の裁量により公訴権の消滅を来たし得る場合は、さらに多きを数えることができる。(一)その第一は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(昭和三五年条約第七号)一七条三項(c)に定める第一次裁判権不行使の通告である。もとより、裁判権それ自体は、国家主権の一態様であり、かつ、司法機関に専属するものであるから、政府当局の判断で放棄し得べき限りではない。ここで放棄されるのは、裁判権を行使する権利であり、その実体は検察官の公訴権にほかならない(正田満三郎「日米行政協定第一七条における刑事裁判権の意義」法曹時報六巻二号四九頁以下参照。)。(二)その第二は、公訴の取消(刑訴法二五七条)である。科刑上一罪の一部の罪についての訴因の撤回(同三一二条)も同様である。これらの場合は、一旦公訴権を行使した後において、これを放棄したものと言えよう。これらの場合、検察官の行為のみによつて直ちに公訴権が消滅することなく、裁判所の公訴棄却の決定(同三三九条一項三号。なお三四〇条参照。)又は確定判決(同三三七条一号)が必要である点に留意すべきである。なお、科刑上一罪の一部の罪につき当初から公訴を提起しない場合も、右訴因撤回の場合と同断である。さらに、いささか逆説めくが、具体的事件につき公訴を提起すること自体、二重起訴の禁止(同三三八条三号、三三九条一項五号)、確定判決の効力(同三三七条一号)を介することにより、当該事件に関する二重の公訴権の消滅事由となると考えることもできる。(三)第三に、検察官による上訴権の不行使、一部上訴(同三五一条、三五七条)、上訴の放棄又は取下(同三五九条)、上訴権回復請求権の不行使等は、原裁判が形式裁判であれば実体判決請求権の、無罪判決であれば有罪判決請求権の各放棄であると構成し得るのである。(四)特殊な場合として、いわゆる微罪処分(同二四六条但書)は、起訴猶予処分の一種(従つて最終的な処分権は検察官に保留されている。)とされながら、検察官から、司法警察員にその処分権が委任されており、司法警察員の処分によつて公訴権消滅の効果を生ずる可能性を認めているのである。

(228) かように、検察官の裁量により公訴権の消滅を招来することができる場合が数多く認められているのは、刑訴法二四八条が起訴便宜主義の原則をとつていることの具体的現われである。同条は、一面において、不起訴処分の一態様である起訴猶予の要件を定めていると同時に、他面、上述の如き検察官の裁量による公訴権放棄を認める個別的規定の根拠となる大原則(起訴便宜主義)を宣明する機能をも営んでいるものと言わなければならない(同条が「起訴を猶予することができる」との表現によらず、「公訴を提起しないことができる」との表現を用いているのも、起訴猶予処分以外の不起訴態様をも包摂する趣旨を示すものと言える。)。そして、同条は、さらに進んで、かかる個別的規定を欠く場合であつても、その合理性と必要性が肯認される限りにおいて、解釈上検察官による公訴権放棄を認めることの直接の法律的根拠となり得るものと言うべきである。この場合には、これを認むべき基準、方法及びその効果については、すべて解釈に委ねられることとなるが、その詳細については、節を改めて検討する。

(228a) 児玉意見書第二の二は、折角本件不起訴宣明が検察官による公訴権の事前放棄である旨の正しい視点に到達していながら、刑訴法二四八条は起訴猶予処分の要件を定めたに過ぎないとする固定観念に捉われたため、同条の有する二重の機能を看過し、同条は本件不起訴宣明の法的根拠となり得ない旨の結論を導くに至つたもの(同意見書第二の三、四)であり、小佐野第一次意見書第二の二、同第二次意見書第一の二が、本件不起訴宣明を将来にわたる起訴猶予処分の約束であると規定したうえ、証言獲得のための取引条件として不起訴制度(ここでも、念頭に置かれているのは、起訴猶予処分である。)を利用することは立法権の簒奪である旨論難しているのは、既にその基盤となる事実の認識において当裁判所と異なる前提に立脚するものであり(公訴権放棄は検察官の一方的行為であり、本件の具体的場合にあつては、それは証人尋問に先立つて既に効果を発生しており、その旨を証人らに通知したのは、証人らの供述拒否権がこれにより消滅したことの告知に過ぎないものと解すべきであるから、そこには約束とか取引とか言つた観念を容れる余地は寸毫もないのである。)、いずれも採用の限りでない。

第四節  本件公訴権放棄の適法性

第一款 本節の結論

(229) 検事正のなした本件公訴権放棄の意思表示は、それがなされた時点における本件の具体的事情の下においては(後記233ないし237参照。)、合理的かつ真にやむを得ない必要に基づくものと認められ、かつ、これをなすために必要と解される方式(後記238、239参照。)の履践にも欠けるところがなく、これを適法と認めるのが相当である。

第二款 公訴権放棄が許される基準

(230) 公訴権は、検察官に与えられた最も重要な権能であり、その誠実な行使は検察官の職務上の義務でもあるから、検察官自らの手によつてこれを放棄するが如きは、これを合理的かつ真にやむを得ないとする特段の事情のない限り、検察官としての一種の自殺行為であり、安易にこれを容認するときは一国の法秩序を危うからしめるものと言わなければならない。それは、一種の緊急事態として、より大なる法益を護るため、ほかに方法のない場合にのみ許されて然るべきである。

(231) さきに見たように、公訴権放棄は、そのこと自体によつて何ら個人の基本的人権を侵害するところがない。すなわち、公訴権放棄の対象となつた証人は供述拒否権を失うこととなるが、被告人に認められた全面的な黙秘権と異なり、供述拒否権は、供述それ自体を拒否し得る点に意義があるのではなく、その供述を自己の不利益に使用(自己負罪)されないことに意義があるのであるから、訴追を受けない地位を確保できることは、失つたものを上廻る代償を得たこととなり、その憲法上の特権は実質的に何ら侵害されていない。さらに、証人の供述を自己に不利益に使用される可能性のある被告人に関して言えば、証人が供述拒否権を行使すれば、そのことを免れる恩恵に浴することとなるが、それは、証人に供述拒否の特権が認められることの反射的利益に過ぎず(証人としては、任意にその特権を行使しないこともできるのであつて、被告人はこれを左右し得る立場にない。)、被告人自身の権利ではない。従つて、供述拒否権の消滅が適法な原因(人の行為によるほか、公訴時効の完成等による場合もある。)によつて招来される限り、これによつて被告人の反射的利益が失われたとしても、これを以て被告人に対する権利侵害と目することはできない。

(231a) 強制、拷問等によつて得られた供述は、これによつて供述者の人権を侵害するものであると同時に、供述内容に虚偽が含まれている危険性がきわめて高いと言える。そして、虚偽の供述は、供述者自身に対してのみならず他の何人に対して使用される場合であつてもひとしく有害である。従つて、かかる供述については、これを証拠として使用される何人であつてもその違法を主張する適格(Standing)を有するものと言うことができる。これに反し、違法に供述拒否権を侵害し、証人に供述を強制した場合には、その供述が虚偽を含むものとは言えない。それは、偽証罪の威嚇の下に真実を述べることを強制するものであるから。従つて、この場合には、その違法を主張することが許されるのは供述者本人のみであつて、その供述を証拠として使用される他の者は、その違法を主張する適格を有しないものと解するのが相当である。かく考えれば、供述拒否権の消滅が適法な原因に基づく場合には、なおのこと被告人がこれに容喙する余地がないのは当然である。

(232) かくて、公訴権放棄に関し問題とすべきことは、公益と個人の利益との調和ではなくして、公訴権放棄によつて失われるべき公益(すなわち、起訴価値があるかも知れない被疑者につき、その有無未確定の間に公訴権を消滅させることによつて侵害され得る国の法秩序維持機能)とこれによつて護られるべき他の公益との比較衡量であり、それは、公益対公益の衝突の一場面にほかならない(被疑者に対する刑事政策的配慮が中心となる起訴猶予処分とは、この点においても様相を全く異にするのである。)。次に、本件の具体的事案に即してこれを検討することとする。

(233) まず、証人らの側の事情から考察する。(一)検察官の主張によれば、本件不起訴宣明当時は、「コーチヤンについては丸紅株式会社幹部との共謀による我が国の政府高官に対する贈賄事件及びこれらに関連する外国為替及び外国貿易管理法違反の各容疑、クラツターほか一名については児玉誉士夫及び全日本空輸株式会社職員らに関連する外国為替及び外国貿易管理法違反の容疑」があつた(検察官第一次意見書一の一の1)というのであり、右容疑それ自体は決して軽微な事案と言い得ないが、この点は、右事実についての訴追の可能性、コーチヤンらの供述を得ることによつて捜査、訴追が可能となる他の犯罪の重大性と比較して相対的に判断すべきものである。(二)コーチヤン、クラツターらは当時米国に居住する米国人であつて、その自由意思により来日する可能性に乏しく、かつ、右(一)記載の容疑によつてはその身柄の引渡しを我国から米国に対して要請することは不可能であつたため(日本国亜米利加合衆国犯罪人引渡条約二条)、同人らに対し、検察官が日本国内において公訴権を行使し得る可能性は事実上皆無に等しかつたものと認められる。(三)同人らは、昭和五一年四月初旬及び五月初旬の二回に亘り東京地方検察庁検察官が渡米し、取調べのため同人らを米国内の便宜な場所へ出頭を求めたのを拒否しており、かかる非協力的態度並びに米国内においてイミユニテイの法制及び慣行が確立されている事情に鑑み、米国裁判所に対する証人尋問の嘱託をした場合においても、日本法による処罰のおそれを理由に供述を拒否することが十分に予想された(その後の経過により、右予想の正しかつたことが実証されている。)。(四)同人らは日本国外に在るのであるから、公訴時効の進行は停止されており(刑訴法二五五条一項)、また、前記(二)の如く、その訴追の可能性すらなかつたのであるから、まして前記容疑につき確定判決を得るに由なく、従つて、時効完成や確定判決によつてその供述拒否権が消滅するのを待つことは不可能であり、これを消滅させるためには公訴権放棄の方法をとる以外に他の途がなかつたものである。(五)証人らの社会的地位、コーチヤン自身既に米議会において詳細な供述をなしていること、その他の事情に照らし、供述拒否権が適法に消滅した暁には、受託裁判所の命令に反してまで同人らが証言を拒否し(法廷侮辱罪となる。)、あるいは偽証をなす可能性に乏しく、命令に服して供述をなすことが予期できた(事実そうなつた。)のである。

(234) 次に、証人らの供述を得ることによつて捜査、訴追の可能となる犯罪事実につき検討する。検察官吉永祐介作成名義の昭和五一年五月二二日付証人尋問請求書の記載によれば、本件被疑事実(一部公訴提起済みののものに関しては公訴事実)は、児玉誉士夫に対する所得税法違反、外為法違反、檜山広・大久保利春・伊藤宏・丸紅株式会社・若狭得治・全日本空輸株式会社に対する各外為法違反、右檜山・大久保・伊藤・若狭に対する各贈賄の各事実のほか、「被疑者(氏名不詳)数名(政府の閣僚、高官、国会議員)は、航空運送事業に関する免許、許可等国の行政事務を行う職務権限あるいは日本国政府の購入する各種航空機の選定、購入の決定等に関する職務権限を有するものであるが、ロツキード・エアクラフト社の製造・販売するエア・バスL―一〇一一及び対潜しよう戒機P3Cの販売代理権を有する丸紅株式会社の前記檜山、大久保、伊藤及び全日本空輸株式会社の前記若狭らから、全日空がL―一〇一一を購入しこれを運航することに関し種々便宜な取扱いをしてもらいたい旨、あるいは日本国政府がP3Cを選定、購入するよう取り計つてもらいたい旨の請託を受け、これに関する謝礼の趣旨で供与されることを知りながら、昭和四七年一〇月ころから同四九年中ころまでの間数回にわたり多額の金員を収受した」旨の事実を含むものであることが認められる(なお、右請求書添付の証人らに対する尋問事項中には、右政府高官らの具体的人名が掲げられている。)。さらに、右被疑事実ほど具体的ではないにせよ、コーチヤンの米議会における証言等から、ロツキード社から我国の政府高官に多額の金員が贈られているとの疑惑は、既に国民各層の知るところとなり、事件の徹底解明を要望する世論が空前の高まりを見せていたことは、公知の事実に属する。

(235) 右によれば、本件被疑事実中には政府高官(前記尋問事項によれば、その中には前内閣総理大臣田中角栄を始めとして、閣僚、国会議員数名が含まれている。)による職務犯罪が含まれていたのであり、一国の行政を預る最高責任者であつた者らに対し、かかる疑惑が持たれること自体、民主主義的法治国家の威信に関わることであり、能う限りの手段を尽くしてその真相を解明することは、ひとり検察のみならず国家全体の急務だつたのである。人は病気に罹ることを虞れるべきではなく、その治療手段の無いことを虞れるべきである。権力の腐敗は民主主義的法治国家にとつて忌むべきことではあるが、事前にこれを根絶する有効策によし欠けるとしても、これを剔抉し、糺弾する司直の機能に誤りなくんば、なお国家の基盤は安泰を保ち得るのである。もしそうでないとすれば、国民の間に著しい政治不信を招来し、ひいては現行国家体制そのものに対する疑念すら生じかねないのである。かくて、右被疑事実に関する事案の真相を明らかにすることは、我国にとりきわめて重大な公益であつたものと言うことができる。

(236) ところで、当時、検察側としては、既に我国法務省と米国司法省との間の取決めに基づき米国側から入手した各種資料及び証券取引委員会におけるコーチヤンの証言調書を入手していたのであるが、これのみでは右被疑事実に関する事案の真相を究明するには程遠く(そのことは、本件証人尋問嘱託書に添付されたコーチヤン証人に対する尋問事項が二五四項目、クラツター証人に対する尋問事項が二五六項目に上つている事実が如実に物語つている。)、他方コーチヤン、クラツターら米側関係者の供述を得るまでは国内関係者の取調べも進展せず、国会による証人喚問も又その功を奏さない状況にあつたのであるから、真相解明のためには嘱託尋問の方法によりコーチヤンらの供述を得ることが必要不可欠であり、しかも、公訴時効の切迫した被疑事実も含まれているところから、右供述の入手は緊急になされる必要があつたのである。

(237) かように、前記被疑事実に対する事案の真相を明らかにすることが我国にとつてきわめて重大な公益であり、かつ、右公益を護るためにはコーチヤンらの供述の入手が不可欠であつて他に方法はなく、しかも緊急になされる必要があつたのに対し、前記233記載の被疑事実につき、事実上我国内における訴追の可能性が皆無に等しかつたコーチヤンらに対する公訴権を放棄することによつて失われる公益は相対的に小さいものと言わざるを得ず、二者択一を余儀なくされた場合、前者を選ぶ以外に他に途のないことは自ずと明らかであろう。本件のような事案以外に、如何なる場合に公訴権放棄が許されるか、その具体的基準を一般的に設定することは困難な問題であるが、少なくとも、前記諸事情を綜合すれば、本件の具体的場合にあつては、まさにこれを適法と認めるに足りる状況が存したものと断じて妨げない。

(237a) たとえば、合衆国法典第一八編六〇〇一条以下所定の刑事免責の運用については、米司法省のガイドライン(The Attorney General's Guideline, relating to use of statutory provisions to compel testimo-ny or production of information,January 14,1977)が示されているようであるが(飯田英男「アメリカ合衆国におけるイミユニテイ法の運用の実情と問題点(上)」警察研究四九巻八号二五頁)、公訴権放棄に関しては、その本質に鑑み(前記230参照。)、きわめて制限された範囲に限定してこれを認むべきものと思われる。

第三款 公訴権放棄の方式

(238) 公訴権の放棄は、被疑事件処理の一態様であるから、第一次的には、当該事件担当の検察官がこれを行なうべきものである。本件においては、被告人児玉らに対する被疑事件等の捜査に関連して派生した問題であるから、本案の被疑事件の担当者がこれに当るものと考えられる(ところで、コーチヤンらに対する被疑事件については、立件手続がとられた形跡が窺われないが、検察当局は同人らに対するある程度の容疑を把握していたと言うのであり、立件のないところに終局処分はあり得ないから、観念的には立件行為があり、ただ右に伴う手続上の措置が欠けているに過ぎないものと認むべきである。)。本件の具体的場合において東京地検検事正が宣明書を発しているのは、ことがらの重大性に鑑み、検察庁法一二条所定の検事正による事務引取権を行使して担当検察官の事務を自ら取り扱うこととしたものと解され、もとより適法である。なお、訴訟法上の効力には直接影響ないが、検察内部の手続としては処分請訓等の必要が考えられるが、本件にあつては事前に検事総長からその旨の指示がなされているのであるから、内部手続上も問題はない。

(239) 次に、公訴の取消(刑訴規則一六八条)、訴因の撤回(同二〇九条一項)、上訴放棄(刑訴法三六〇条の三)、上訴取下(刑訴規則二二四条本文)等においては原則として書面の提出が要求されていることに鑑み、又、手続の明確性を期する上からも、公訴権の放棄は書面によつてこれをなす必要があるものと解されるが、本件においては右方式も遵守されている。ただ、右に引用したような公訴提起後の手続と異なり、公訴権放棄の場合には裁判所に対する事件の係属がないのであるから、書面の提出先を裁判所に限定する一般的原則はないが(現に合衆国軍隊の構成員等に対する第一次裁判権不行使の通告は、相手国の当局に対してこれをなすべきものとされている。)、本件のように、証人の供述拒否権を消滅させる目的で公訴権を放棄した場合には、当該証人の供述拒否権の存否を判断すべき立場にある証人尋問を主宰する裁判所又は裁判官に対してこれをなすべきものと解するのが相当であり、この点においても、本件公訴権放棄はその方式に合致するものと認められる。

第五節  公訴権放棄の効果

(240) コーチヤン証人らに対する証言事項についての公訴権は、東京地検検事正の宣明書が東京地方裁判所裁判官石田恒良に提出されたことによつて、消滅するに至つたものと解すべきである。これが、公訴権放棄の直接の法律上の効果であるが、起訴猶予処分との対比において、公訴権放棄の特色を少しく検討して見よう。(一)まず、起訴猶予処分においては、公訴権そのものは消滅しないのであるから、一旦起訴猶予の裁定をした後においても、何時でも被疑事件を再起して公訴を提起する可能性が残されている。これに対し、公訴権放棄の場合は、公訴権そのものが失われるのであるから、最早当該事件を再起する余地はなく、これに反して公訴を提起すれば「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」に該当し、刑訴法三三八条四号により公訴棄却の判決を免れないこととなる。(二)従つて、一旦公訴権放棄が適法になされた後は、検事長(検察庁法八条)、検事総長(同七条一項)の指揮権あるいは法務大臣の検事総長に対する指揮権(同一四条)によつても、既に発生した公訴消滅の効果を左右することができないのは、恰も公訴時効が完成した場合と同様である。(三)また、公訴権放棄を「検察官の公訴を提起しない処分」(検察審査会法二条一項一号)の一態様と見て、検察審査会に審査の申立をしても、適法に公訴権が消滅している以上、「不起訴相当」の議決がなされるのみである。(四)公訴権放棄の効果が右のように絶対的であり、後日取消変更が不可能である以上、その意思表示が検事正の後継者を拘束することとなるのは当然のことであり、宣明書にその旨の文言が附加されているのは確認的意味を有するに過ぎないこととなる(むしろ、さきに述べたとおり、起訴猶予処分ではこのような法律上の効果を生じ得ないことは明らかであるから、右文言の附加は、本件宣明が、そこに使用されている文言にかかわらず、起訴猶予処分ではなくて公訴権放棄であることを明らかにする目的でなされたものと見るのが相当である。)。(五)さらに、一旦公訴権放棄が適法になされた以上、その後における法律上事実上の事情変更(たとえば、逃亡犯罪人引渡条約の改正により、従来引渡請求不能であつた犯罪につきこれが可能となる等)は、既に生じた公訴権消滅の効果に何らの影響を及ぼすものでもないことは言うまでもないところである。

(241) 公訴権の消滅に伴う最も重要な法律上の効果は、証人らの供述拒否権の消滅である。憲法三八条一項、刑訴法一四六条所定の供述拒否権は、証言をすることにより、「自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある」ときに認められる特権であるが、証言事項に関する公訴権が消滅した以上、右のおそれもまた消滅に帰することとなるから、供述拒否権成立の前提要件が欠けることとなり、供述拒否権は消滅する。

(242) 以上の説明から明らかなとおり、本件宣明を公訴権放棄と構成することにより、これが起訴猶予処分又は将来におけるその約束であることを前提とする弁護人らの主張は、すべてその理由がないこととなる。

第三章 被告人の反対尋問権

第一節  本章の結論

(301) 本件嘱託証人尋問調書(以下、本章ないし第六章において「証言調書」という。)の証拠能力を認めることは、被告人の反対尋問権の行使を保障した憲法三七条二項前段の規定に違反するものではない。

第二節  憲法三七条二項に定める反対尋問権

(302) 憲法三七条二項前段の規定を、(一)公判廷に喚問した証人に対する反対尋問権を保障したものと解する場合(以下「第一説」という。)においてはもとよりのこと、(二)公判廷の内外を問わず、すべて被告人に不利益な供述(書面による供述を含む。)をする者に対する反対尋問権を保障したもの、すなわち伝聞証拠排除の原則を表明したものと解する場合(以下「第二説」という。)においても、ここに言う反対尋問権(憲法上の用語によれば「証人に対して審問する機会」)とは、当該被告事件につき事実認定をなす受訴裁判所の面前で公判期日において行使されるもの(以下「公判廷における反対尋問」という。)を指称するものと解すべきである。蓋し、反対尋問による供述の信用性の吟味は、単に尋問に応じてなされた供述内容のみならず、供述をなす際の顔色、声音その他の挙措動作等の観察をも綜合してなされるべきであり、受訴裁判所の面前以外の機会に行なわれた反対尋問にあつては充分にその効果を発揮することができないからである。従つて、右条項による保障は、当然のことながら公判前の手続である刑訴法二二六条による証人尋問に及ぶものではなく、従つて同手続において、被告人(被疑者)に全面的に反対尋問の機会を与えることなく、同手続への立会を裁判官の裁量に委ねたとしても(同法二二八条二項参照。)そのことが直ちに憲法の右条項に違背することとならないのは当然である(そのことと、右尋問によつて得られた証言調書を公判廷における証拠として許容することが憲法の右条項に適合するか否かは、全く別の次元に属する問題であつて、これを混同してはならない。)。逆に、同手続において、被告人(被疑者)に対し反対尋問の機会を与えたとしても、これは公判廷における反対尋問ではないのであるから、これによつて当然に憲法の右条項の保障が充足されたものと言い得ないことも明白である。

(302a) 小佐野第一次意見書第二の三、同第二次意見書第一の七は、刑訴法二二八条二項は、憲法三七条二項の規定に違反しない旨判示した最高裁判所昭和二七年六月一八日大法廷判決(刑集六巻六号八〇〇頁)は、当該証人が、将来公判廷に出頭し、被告人側から反対尋問を受けることが予想されればこそ、はじめて認められる解釈である旨主張する。かかる所論は、叙上の説明から明らかな如く、まさに刑訴法二二八条二項とそれによつて得られた供述調書につき証拠能力を認める場合(その判断の基礎となる規定)とを混同するものであつて、右判決が、「刑訴法二二八条の規定は、前二条の規定とともに」捜査手続に「関する法律規定であつて、受訴裁判所の訴訟手続に関する規定ではなくて、その供述調書はそれ自体では証拠能力をもつものではない。(中略)刑訴法は受訴裁判所の訴訟手続に関する規定として右二二八条等の規定にかかわらず更に刑訴(法)三二〇条の規定を設け前記憲法の条項(三七条二項)に基く刑事被告人の権利を充分に尊重しているのである。」と判示している点を看過するものである。

(302b) 児玉意見書第一の五は、最高裁判所昭和三五年一二月一六日第二小法廷判決(刑集一四巻一四号一九四七頁)を、その供述録取書を証拠とする場合には、受訴裁判所の訴訟手続において、被告人に審問の機会を与えれば刑訴法二二八条二項は憲法に違反しない旨判示したものとして引用しているが、同判決はその判文自体から明らかなように、刑訴法二二八条二項自体については、前記昭和二七年六月一八日大法廷判決を引いて憲法三七条二項に反しないものと判示したうえ、それによつて得られた証人尋問調書の証拠能力を認めた原判決が右憲法条項に反しないことを判示する過程において、たまたま当該事案がそのような経過になつていることを明らかにするために「原審においては所論の尋問調書につき尋問を受けているのであつて」と判示したに止まり、それ以上の意味はなく、従つて所論の如き同判決の引用はそれ自体誤りと言わざるを得ない。

第三節  憲法による例外の許容

(303) 憲法三七条二項前段の解釈につき、前示第一説によるときは、公判期日に証人として喚問することに代えて、その者が公判外でした供述を録取した書面等の証拠能力を認めることは、同項前段所定の反対尋問権の保障とは何ら関わりがなく(従つて、同条項違反となる余地がない。)、同項後段の証人喚問請求権との関係で問題となり得るに過ぎない(喚問不能な場合に例外を許容するか否か及びその基準如何という問題となり、実際上は第二説における反対尋問権の例外許容の基準中、供述不能の要件と同様の基準によつて決せられることとなる。)。

(304) これに反し、前示第二説によるときは、本来公判廷における反対尋問にさらされない供述は、一切その証拠能力を認め得ないこととならざるを得ない。しかし憲法三七条二項前段は、絶対に例外を許さないものと解すべきではない。蓋し、そうでないとすれば、犯罪事実の立証に不可欠の証人が死亡その他の事由により公判廷に出頭できないような場合であつても、その者の公判外の供述を証拠として利用できないこととなり、刑事訴訟の目的である真実の発見が妨げられ、被告人に不当な利益を与えることとなる。およそ憲法の右条項は、被告人に不当な不利益を負わせないことを目的とするものであつて、これに不当な利益を与えることまで保障するものではない。のみならず、前示第二説は、同条項が英米法における伝聞証拠排除の原則を定めたものと解することとなるが、右原則そのものが必要性と信用性の情況的保障の存することを条件に広汎な例外を許容しているのであつて、憲法が右原則を取り込む場合には、当然、右例外を内包することを前提としたうえでこれを規定したものと解するのが相当である。従つて、前示第二説によるときでも、憲法は、合理的な例外を許容するものと解すべきである(この点、前掲302a及び検察官第一次意見書第四の一の2引用にかかる最高裁判例は、一見第一説に立つが如き口吻を用いながら、例外の許容に関しては第二説を前提としたものの如く解される「現にやむを得ない事由があつて、その供述者を裁判所において尋問することが妨げられ、これがため被告人に反対尋問の機会を与え得ないような場合にあつては」との限定を付したうえで、公判外供述の許容が憲法三七条二項に反しないものと判示している。)。

(305) 右に言う憲法が認めるところの合理的例外の範囲を定める基準としては、(一)例外の存在理由として、刑事司法の究極目標たる実体的真実の発見の要請に応えるために、かかる例外を認めざるを得ないような特殊の事情(必要性)が存すること、(二)必要性がすべてを担保するものではないから、必要性のみによつて被告人の不利益防止の保障の趣旨を没却することのないように、例外の正当理由として、実質的に反対尋問に代替し得る別の手段による保障が存することの二個の要素が考えられ、逆に右の二個の要素を充たす限りは、憲法が認める合理的例外の範囲内にあるものとして、そのような公判外の供述を証拠として採用しても、憲法三七条二項前段には違反しないと言い得るのである。右(一)、(二)の各要素は、英米法における例外許容基準たる必要性と信用性の情況的保障にそれぞれ対応するものであつて、両者は相互関連性をもち、一方が高度に認められるときは、他方の充足度はさほど厳格に要求されないという互いに補充的関係に立つ。

(306) 右二個の要素は、その相互関連性に基づきさまざまに組み合わされて、刑訴法三二一条以下に伝聞証拠排除原則の例外規定として具体化しているのであるが、本件証言調書の証拠能力に関し直接問題となる同法三二一条一項一号及び同項三号(以下本章ないし第五章において単に号数のみを表示するときは、同項の各号を指すものとする。)の各規定所定の要件は、詳しくは後述するところであるが、いずれも右二個の要素を充足するものであつて、従つて本件証言調書が一号又は三号の要件を充たすものとして証拠能力を賦与される場合には、それは憲法三七条二項前段の合理的例外にあたるものであつて、同条項違反とはならないこととなる。

第四節  公判期日等における供述不能

(307) 本節では必要性について考察するが、反対尋問の機会を与えることが可能であるにもかかわらず、そのような途をとらず、公判外の供述を証拠として採用することは、反対尋問権の保障の趣旨に真向から反し、かかる場合にまで右保障の例外を認める必要は何ら存しないのであつて、必要性は供述者を公判廷に出頭させ、よつて反対尋問の機会を与えることが不可能ないし著しく困難な場合にのみはじめて肯認され得るものと言わざるを得ない。一号前段及び三号にあつては共通の要件として「供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明又は国外にいるため公判準備又は公判期日において供述することができないとき」(以下「供述不能」という。)と定められており、右要件はまさに前記憲法の要請である必要性の要素に適合するものと言うべきである。

(307a) 児玉意見書第一は、「供述不能」の要件に関し、右は「死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明(以下「死亡等」という。)又は国外にいる」等の事由が、原供述時と公判準備又は公判期日(以下「公判期日等」という。)との間に生じた場合のみを指し、原供述時からこれらの事由が存在し、公判期日等までの間に事情の変更がない場合を含まないと主張する。しかし供述不能とは公判期日等における供述不能を指称するものであることは文理上きわめて明白であり、原供述時の事情の如きは要件に数えられていない。もつとも、刑訴法三二一条一項がそもそも原供述の証拠能力に関する規定である以上、原供述の存在を当然の前提としていることは言うまでもないところ、原供述時に死亡等の事由が既に発生しているとすれば、原供述そのものが得られないのであるから、その限度においては、所論は当然至極と言えよう。しかし、供述者が国外にいる場合には、いささかその趣を異にする。ここでは、原供述と公判期日等における供述の質の差が関係するのである。すなわち、公判期日等における供述は、我国領土内において受訴裁判所の面前で反対尋問権を保障して行なわれなければならないから、供述者が国外にいるときは、裁判所の求めに応じてその者が任意に来日しない限り、原則として供述不能と言えるのに対し、原供述にあつてはそのような制約はないから、捜査官が国外に赴いて供述を録取し、又は外国裁判所若しくは在外領事等に尋問を嘱託し、あるいは供述者に質問書を送付して書面による回答を求める等の方法により、これを取得する可能性があるからである。この場合、供述者が国外にいるという事由には何ら変動はないが、原供述は得られるのに公判期日等においては供述不能という事態を生じ得るのであつて、かかる場合に同条項の適用が排除されると解さなければならない合理的な理由は、何ら見出し得ない。この場合、公判期日等における供述不能が問題とされるべきところ、公判時に証人が国外にいるときはつねにかかる事態を生ずるのであつて、その事由が原供述後に生じたか、それ以前から存続するかは、法律的に意味をもたない偶発的な事情であるに過ぎない。もつとも、検察官がことさら被告人の反対尋問権を奪うべく、意図的に供述不能の事態を発生させたような場合は別論であつて、かかる場合には当該供述者の供述証拠を採用されない負担を、自らそのような事態を作出した検察官が負うべきである。但し、本件において検察官にかかる悪意が存在したと疑うに足る証拠は全くなく、本件が右の場合にあたらないことは明らかである。

(307b) 小佐野第一次意見書第四の一、同第二次意見書第一の七は、原供述時において、供述者が将来公判廷で供述し得ることが前提とされた場合のみ刑訴法三二一条一項の適用がある旨主張し、児玉意見書第一も、原供述時に将来受訴裁判所の訴訟手続において反対尋問の機会が与えられないことが予測できた場合には、合理的な例外に当らない旨主張するが、いずれも原供述時の事情をも考慮に入れている点において既に前記307aの所論と同様の誤りを犯しているうえに、たとえば殺人事件の被害者の臨終に際しての供述の如く、供述者が重病で将来到底公判期日等に供述し得ないこと明らかな場合等を想定すれば、きわめて不当な結果を招く主張たること明らかで認め難い。

(308) 本件は、供述者が国外にいる場合に当るところ、「国外にいるため」とは「供述することができない」原因の例示であるから、供述者が国外にいても、任意に来日することを承諾する等の事情により公判期日等において供述することができる場合は右に当らないこととなる。すなわち、刑訴法制定時に比し、交通手段が著しく発達し、国際交流も頻繁となり、国外渡航も日常茶飯事のこととなつた現在においては、被告人の反対尋問権保障の趣旨を没却しないためにも「供述者が(中略)国外にいるため」公判期日等において供述することができない旨の要件は、単に供述者が国外にいるだけでは足りず、可能な手段を尽くしてもなお公判期日等に出頭させることができないことを要するものと解すべきである(東京高等裁判所昭和四八年四月二六日判決、高裁刑集二六巻二号二一四頁参照。)。

(309) これを本件についてみれば、コーチヤン及びクラツターは、序章第三節で述べた如く、いずれも米国に在住していた昭和五一年当時、渡米した東京地検検察官の米連邦捜査局(FBI)及び司法省を通じての二度に亘る事情聴取のための同国内の適宜な場所への出頭要請を拒否したのみならず、両名とも現在も米国カリフオルニア州に在住し、かつ東京地検検察官の裁判所から証人として出頭要請があつた場合任意に来日して出頭、証言する意思の存否についての問い合わせに対し、コーチヤンは自ら、クラツターは弁護人を通じて、いずれも出頭を拒否し、任意に来日する意思がない旨回答していることが認められ、以上によればコーチヤン、クラツター両名とも現在日本国外にあり、かつ裁判所の求めに応じて任意に来日して裁判所に出頭、証言する意思のないことが明らかであるから、裁判所として最早可能な限りの手段を尽くしても、右両名を公判期日等に出頭させることができない場合に該当するものと言わざるを得ない。従つて、本件証言調書は供述者が国外にいるため供述不能の要件を充たすものである。

(309a) 小佐野第一次意見書第二の三、同第二次意見書第一の七は、検察官が被告人の反対尋問権を剥奪した旨主張し、あるいは本件証言調書は被告人の反対尋問権を奪つて作成されたもので憲法三七条二項に違反する旨主張する。しかしながら、検察官が、本件嘱託証人尋問の請求にあたつて、被疑者らの立会排除を要請した行為は、嘱託裁判官の立会排除の要請の縁由となつたに過ぎず(決定は受託裁判所がなしたものである。)、実際の尋問手続において被疑者らの立会が許されなかつた事態とは間接的な因果関係しか有せず、到底これを以て被疑者らの立会を排除したものと言うことはできない。また、本件においては、供述者の原供述時と現段階での事情に変更なく、被告人らがコーチヤン及びクラツターに対して公判廷における反対尋問をすることは、原供述時においても現段階同様不可能であつたのであるから、所論はその前提を欠くものと言わざるを得ない。所論反対尋問が嘱託証人尋問手続におけるそれを指すものとすれば、前述の如く(前記302参照。)それは憲法の保障する反対尋問とは似而非なるものであつて、それをなし得たか否かは、それ自体独立して反対尋問権の保障の問題において採り上げる意義を有するものではない(それをなしていれば特信性認定のための一要素となり得ようが、逆に、それをなしていない一事を以て特信性の存在が否定される筋合いのものではない。)。

第五節  信用性の情況的保障

(310) 第三節で述べたように、公判外の供述を証拠として認めることが憲法三七条二項前段の合理的例外と言い得るためには、同条項が保障する被告人の反対尋問権が行使されたと実質的に同様の機能を果たしうる代替的保障を与え、もつて反対尋問の機会を与えないこと自体により、被告人に不利益を課すものでないことが要請される。

(311) 反対尋問の実質的機能は、これによつて供述の真偽を吟味し、その正確性、信用性をテストするにあるから、供述の真実性の情況的保障がこれに代替し得る程度に認められる場合には、敢えて反対尋問を絶対視して、伝聞証拠として排除する必要は存しないことになる。このことは、反対尋問が供述の真偽を検討、確認する唯一の方法でないことに思いを致せば明らかである。伝聞証拠排除の原則の例外を認める要素として、信用性の情況的保障が求められる所以はまさにここにある。

(312) 従つて、その供述に際しての外部的状況等から実質的に反対尋問を行使した場合と同程度の供述の信用性が認められることを要件とする限り、公判外の供述を証拠としても、前記憲法の条項には違反しないこととなるのである。ところで、一号所定の書面は、「裁判官の面前における供述」を録取したものであることに照らし、類型的に右にいう程度の信用性の情況的保障が存するものとして規定されている。公正な第三者たる裁判官が主宰する厳格な訴訟法規に則つた証人尋問手続における宣誓の上での供述であること及び反対尋問の必要性が存するような場合には裁判官が代わつて尋問すると考えられること等に照らせば、かかる供述は、類型的には前記程度の信用性の情況的保障が存するものと解されるから、一号は前記憲法条項の合理的例外に当ると認められる。

(313) 三号は、公判外の供述に証拠能力を認める場合の原型として、「その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるとき」(以下「特信性」という。)を要件とするものであるから、まさしく憲法の合理的例外たるべき要件をそのまま掲げたものであり、これを、供述がなされた際の外部的附随事情等に照らして、その供述の生成過程に反対尋問による吟味に代替し得る程度の信用性の情況的保障が存在することの意義に解する限り(従つて、特信性の審査はこの観点からなされなければならない。)、憲法三七条二項前段に違反しないことは最早明らかである。

第四章 刑訴法三二一条一項一号による証拠能力の存否

第一節  本章の結論

(401) 本件証人尋問を主宰したチヤントリーは、刑訴法三二一条一項一号所定の「裁判官」に該当せず、また、本件各証言調書を同号所定の「裁判官の面前における供述を録取した書面」に準ずるものとして、同号により証拠能力を認めることは許されないものと解すべきである。

第二節  一号所定の「裁判官」の意義

(402) 刑訴法上行為主体を現わす概念はさまざまあるが、条文上外国人を含むことを明らかにしている場合(たとえば、三二三条一号に「公務員(外国の公務員を含む。)」とあるが如し。)を除いては、これに外国人を含むか否かは、刑訴法自体のみならず、広く組織法、実体法の諸規定を綜合してこれを判断しなければならない。たとえば、「被告人」(刑法一条、二条参照。)、「証人」、「鑑定人」(治罪法一九九条四項参照。)、「弁護人」(弁護士法旧七条一項、二項、昭和三〇年法律第一五五号附則三項参照。)等の概念に外国人の含まれることは明らかであるが、制度上資格要件の厳しく定められている「裁判官」、「検察官」の概念に外国人を含む余地は全く認められない。本件嘱託証人尋問を主宰したチヤントリー退任判事が刑訴法三二一条一項一号所定の「裁判官」に当らないことは、余りにも明白である。

第三節  一号の類推適用の是非

(403) 本件証言調書が一号書面に該当しないことは前述のとおりであるが、検察官主張の如く、これを一号書面に準ずるものとして同号の類推適用により証拠能力を認めること(検察官第一次意見書第四の二)は許されるであろうか。思うに、一号書面が伝聞証拠排除の原則の例外として証拠能力が認められる所以は、それがまさしく資格要件を具えた裁判官がその裁判官としての地位に基づき職務の執行として証人尋問を主宰しているというその一事を以て憲法の保障する反対尋問権の行使に代替し得るだけの信用性の情況的保障があるものと認めたことによるものであるから(同号は右保障に関し他に何らの要件を定めていないばかりか、必要性の要件についても、他の各号に比べて最も緩和した形をとつている。)、「裁判官の面前における供述」であることは同号にとつて絶対的な要件であり、所論のような実質的理由に基づきこれを他の場合にまで拡張することは到底許されない。たとえば、我国において裁判官の任用資格を有する者であつても、任官前又は退官後においては同号の「裁判官」に含まれないのはもとより、現職の裁判官であつても、司法行政事務処理のため参考人を審尋した調書の如きに同号の類推適用は認められない。これらの場合に、当該裁判官有資格者の法律知識、実務経験、能力の如き実質的要素を考慮する余地は認められないのである。現に復帰前の沖繩においては、日本人の裁判官が本土の刑法、刑訴法と同一の規定を有する刑法、刑訴法によつて裁判を行なつていたのであるが、これらの裁判官が復帰前にした訴訟行為(裁判官面前調書の録取を含む。)は、当然には本土の刑訴法上の行為とはみなされず、そのために特別の規定(沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律(昭和四六年法律第一二九号)二七条)を置かざるを得なかつた経緯に照らしても、検察官主張の如き類推適用が安易に認められないことは明らかである。まして、チヤントリー退任判事は、本件証人尋問を主宰するに際し、米国内法上においても「裁判官」の資格においてではなく、私人であつても裁判所の指名によつて就任することのできる「執行官」(Commissioner)の資格において本件証人尋問を主宰したに過ぎないものであること弁護人の指摘のとおりであるから、本件各証言調書に一号の類推適用の余地のないことは、多言を要しない。

第五章 刑訴法三二一条一項三号による証拠能力の存否

第一節  本章の結論

(501) 本件各証言調書は、刑訴法三二一条一項三号所定の書面に該当し、供述者の公判期日等における供述不能、犯罪事実の存否の証明に対する不可欠性及び供述時の特に信用すべき情況の各要件に欠けるところはなく、また刑訴法三二五条所定の調査によればその供述に任意性の存することは明らかであるから、三号書面としてその証拠能力を認めることができる。

第二節  三号書面該当性及び供述不能の要件

(502) 本件証言調書が一号所定の書面に該当しないことについては、前章に説示したとおりである。他に該当法条は見当らないから、本件証言調書は、すべての伝聞証拠のうち、最も基本的類型である三号所定の書面に該当するものと認めざるを得ない。同号による証拠能力の要件の一つである「供述者が(中略)国外にいるため、公判準備又は公判期日において供述することができ」ないことについては、既に第三章第四節において判断したので、ここでは省略する(前記308、309参照。)。

第三節  不可欠性の要件

第一款 不可欠性の意義

(503) 三号所定の「その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき」(以下「不可欠性」という。)の要件に関し、その供述内容が犯罪事実の存否に関連ある事実に属しており、その供述が事実の証明に実質的に必要と認められる場合をいうもの(東京高等裁判所昭和二九年七月二四日判決、高裁刑集七巻七号一一〇五頁参照。)と比較的緩やかに解する立場も見受けられるが、およそ当事者が、犯罪事実に関連せず、あるいは事実の証明に実質的に必要と認められないものを証拠として取調請求することは通常あり得ないことを想起すれば、かかる緩やかな解釈をとることは、同号が、前二号と異なり、ことさらに不可欠性の存在を証拠能力の要件とした趣旨に背くものであつて、当裁判所としてはにわかに左袒するを得ない。不可欠性の要件は、字義どおりその供述が訴因たる事実若しくはこれと密接に関連する事実の存否の立証に必要で、かつ他の適法な証拠では同一目的を達し得ないことを意味するものと解すべきである。換言すれば、ここでいう不可欠とは、まさにその供述を欠くときはそれによつて立証しようとした対象たる事実の存否の立証ができなくなることを意味するのであつて、不可欠性の要件を充たすか否かは、他の適法な証拠との関係で判断されることとなる。すなわち、三号所定の必要性の要件が公判期日等における供述不能というもつぱら当該証拠のみに着目した観点から規定されているのに反し、不可欠性の要件は、広義における証拠の必要性の観点と同じく、これを判断する時点までに採用された他の証拠との関連において捉えられるべきものであり、しかも、広義の必要性よりは一層厳格な高度の必要性を指称するものと解すべきである。もつとも、かく解したからといつて、その供述が犯罪事実の唯一の証拠であることは要しない。たとえば、(一)自白の証明力が制限されている(刑訴法三一九条二項)結果、たとえ犯罪事実につき被告人の全面的な自白が存する場合であつても、補強証拠の不可欠性は右自白の存在とは切り離して独立に考察すべく、(二)ごく例外的な場合を除き、訴因たる事実もしくはこれと密接に関連する事実は一個の立証事項から成り立つことはなく、多数の立証事項の集積によつてその全体像が構成されるのであるから、これを立証する証拠の不可欠性も、個々の立証事項ごとに考慮すべきであり、同一の事実に関する供述であつても、(イ)贈賄者と収賄者の如く、当該事実(金員の授受)に対する関与の仕方が異なる者の供述、(ロ)目撃の時刻、場所を異にする数名の目撃者の如く、ある程度細分化された立証事項(細分化することが無意味な場合を除く。)からすれば、それぞれ異なる体験を報告するものと見られる供述、(ハ)全く相反する内容の供述等は、その一方が取調済みであつても、他方が不可欠性を失うことにはならず、(三)同一事実に関する重複した供述であつても、その一方が弾劾の結果証明力を失うに至れば、他方についてはなお不可欠性を肯認して妨げない。これに反し、全く同一内容の重複した供述(立証事項に対する関係で無視しうる差異を除く。)は、その一方が採用済みであれば、他方は不可欠性を有しないと言うべきである。蓋し、証明力の強さは同一内容の証拠の数とは関係ない(証明力の強い証拠であれば一つで十分であり、逆に、証明力の弱い証拠であれば、同一内容のものを何個合せても証明力を補強することはできない。)からである。

第二款 被告人児玉の犯罪事実との関係

(504) まず、児玉について、不可欠性の要件の存否を検討するに、(一)コーチヤンの供述は、児玉が、一九六〇年代からロツキード社の秘密コンサルタントとして、同社製品の我国に対する売込活動に従事してきており(コーチヤン調書第二巻)、ロツキード社のL―一〇一一型機の我国に対する販売活動についても、同社の秘密コンサルタントとなり、同社との間に各種契約を締結した経緯、その内容(同調書第二ないし四、六、七巻)、コーチヤンが自らL―一〇一一型機の我国における販売活動に従事した際、児玉がその活動に様々の手段、方法で協力した状況、その活動内容(同調書第二、三、五ないし七巻)、児玉の右活動に対しロツキード社からコーチヤンの承認のもとに報酬が支払われた状況(同調書第二、四ないし七巻)及びロツキード社等の概要、コーチヤン、クラツターの経歴(同調書第一、二巻)などを、(二)クラツターの供述は、児玉が、ロツキード社の秘密コンサルタントとなつて同社製品の売込活動に従事してきた経緯、状況(クラツター調書第四巻)、L―一〇一一型機の販売に関するコンサルタントとなり、同社との間にそれに伴う各種契約を締結した経緯、その内容(同調書第四ないし六巻)、ロツキード社の我国におけるL―一〇一一型機販売活動及び児玉が、それに種々の手段、方法で協力、従事した態様、経緯、状況(同調書第三、四、六、七巻)、児玉の右活動に対して、ロツキード社からクラツター管理のもとに報酬が支払われた状況(同調書第四ないし七巻)及び同社等の概要、クラツターの経歴(同調書第三巻)などを、それぞれ立証するものと認められ(検察官請求証拠目録記載の立証事項による。以下同じ。)以上はいずれも児玉の各犯罪事実の内容と直接関連し、かつ、その重要な要素たる部分の存在の立証に必要なものであることは明らかであるうえに、現段階においてこれに代わりうる採用済みの証拠は存しないのであるから、本件証言調書は、児玉については、不可欠性の要件を優に充たすものと認められる。

(505) なお、念のため付言するに、右立証事項の内容に照らせば、コーチヤン及びクラツターの各証言調書並びに取調済みの福田太郎の検察官に対する各供述調書は、相互にその立証事項が、一見部分的に重複するようにも見受けられるが、右福田の検察官面前調書の内容及び提示にかかるコーチヤン、クラツターの証言調書の内容を検討するに、コーチヤンは、ロツキード社の我国におけるL―一〇一一型機販売活動の最高責任者として、同社関係者を指揮監督しつつ主として児玉その他日本側関係者と同機の売込活動自体に関して接触、交渉した者、クラツターは、その部下として児玉らとは契約締結及び現実の報酬支払等の事務処理の面において接触、交渉した者、福田は、主として通訳として右コーチヤン、クラツター及び児玉の間の会合に立会した者であつて、それぞれ全く異なる地位、立場において児玉ら本件の関係者と接触することによつて、犯罪事実に関与した者であり(前記503(二)(イ)(ロ)参照。)、本件の如き多数当事者が関係しているうえ長期間に亘る一連の犯罪事実を立証の対象とするきわめて複雑な事案においては、それぞれその立証事項を異にするものと考えられるから、そのそれぞれが、犯罪事実の存在の立証に欠くべからざるものである。この理は、他の被告人についても同様である。

第三款 被告人大刀川の犯罪事実との関係

(506) 大刀川については、立証事項は児玉と全く同一であるところ、児玉の犯罪事実と比較すれば、大刀川のそれは明らかに範囲が小さく、一見本件証言調書中には、大刀川に関しては不可欠性を有しない部分が存するかのように見受けられるのであるが、起訴状及び検察官の冒頭陳述によれば、大刀川の犯罪事実は児玉との共謀の下に同人と密接に関連して行われたものであつて、その契機となつたものは、それ以前における児玉のその余の犯罪事実及びそれに伴う事実であり、いわば大刀川の犯罪事実は、それ以前の児玉の犯罪事実を基礎として遂行されたものと言つても過言ではなく、その意味では大刀川の犯罪事実を立証するためには、それに至る経緯としてそれ以前の児玉の犯罪事実の立証が論理上当然に必要となるのであつて(たとえば、大刀川の犯罪事実を立証するためには、それ以前の児玉とロツキード社との間の契約締結、それに則つた児玉への報酬支払、さらには契約取消に至る経緯及び新契約締結後の報酬支払の理由たる従前の児玉のコンサルタントとしての活動等が、どうしても明らかにされねばならない。)、この点に鑑みれば、児玉のみの犯罪事実についての立証事項も、まさに大刀川の犯罪事実と密接に関連し、かつその存在の立証のためには必要なものと言わねばならず、従つて本件証言調書は、大刀川についても不可欠性の要件を充たすものである。

(506a) 児玉意見書第三の二の2は、本件証言調書入手前に、検察官が公訴を提起した児玉に対する昭和五一年三月一三日、五月一〇日及び六月四日付並びに児玉、大刀川両名に対する同年九月二日付の各起訴にかかる公訴事実については、検察官において、既に右各公訴提起の時点においてそれぞれの犯罪事実を立証するに足る必要な証拠を収集していたのであるから、右の各公訴事実については、本件証言調書は不可欠性の要件を欠く旨主張する。ところで刑訴法二二六条の「犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる者」という概念が、三号にいう不可欠性よりも広い範囲のものであることは所論のとおりであるが、逆に言えば不可欠性にいう程度の証拠としての必要性がきわめて高いものも右二二六条の概念に含まれることも明らかであり、同法が、それにもかかわらず、公訴提起後「第一回の公判期日前」までの期間においても、検察官に裁判官に対する証人尋問請求の余地を残しているところからすれば、刑訴法自体が公訴提起後における捜査の継続を前提としており、従つて、公訴提起時における犯罪事実を裏付けるに足る証拠の十分性の判断と、公判手続に入つた後における証拠の十分性の判断(ことに終局判決において、被告人を有罪と認定するに足る証拠の十分性の判断)との間には、当然差異が存するものと考えられ、かく解すれば、そもそも所論はその前提を欠くこととなる。さらに付言するならば、訴訟手続中における判断は、その判断がなされる時点における訴訟手続の段階に応じてこれをなすべきものと解され、現時点における判断としては、本件証言調書が不可欠性の要件を充たすことは、既に前款及び本款において明らかにしたとおりであるから、所論の如く本件証言調書取得時前後における検察官の態度をもつて不可欠性をうんぬんすること(もともと検察官が、公訴提起時において公訴事実を立証するに足る十分な証拠を収集していたという所論の前提要件自体推論の域を出ない。)自体が的はずれというほかないものである。

第四款 被告人小佐野の犯罪事実との関係

(507) 次に小佐野について検討するに、(一)コーチヤンの供述は、ロツキード社におけるL―一〇一一型機の製造、販売活動状況とりわけ我国における売込活動の経緯、状況並びにこれに関連しての児玉とロッキード社間の関係及び児玉の右売込活動への協力の経緯、その内容(コーチヤン調書第二ないし七巻)、コーチヤンが、L―一〇一一型機売込につき、児玉を通じ小佐野と面識を得るに至つた経緯、状況(同調書第三ないし六巻)、小佐野がコーチヤンないし児玉とL―一〇一一型機売込のため会談した事実及びその内容、その他小佐野のL―一〇一一型機販売活動への協力状況(同調書第二、三、五、六巻)、児玉の前記活動に対しロツキード社から報酬が支払われた経緯、状況(同調書第二、五巻)、コーチヤンが、クラツターに右報酬の一部たる二〇万ドルを小佐野へ支払うことにつき、承認を与えた状況(同調書第六巻)、ロツキード社の我国におけるP―3C型機売込の状況及び右売込に関して小佐野がコーチヤンと会談した状況(同調書第二、三、五巻)及びロツキード社等の概要、コーチヤン、クラツターの経歴(同調書第一、二巻)などを、(二)クラツターの供述は、児玉とロツキード社間の関係及び契約締結の経緯、内容並びにクラツターが管理していたロツキード社特別資金からの児玉への報酬支払状況(クラツター調書第四ないし六巻)、コーチヤンが小佐野とL―一〇一一型機売込に関して面接した事実(同調書第六巻)、コーチヤンらが東亜国内航空田中社長とL―一〇一一型機販売に関して面談した事実(同調書第四巻)、小佐野がコーチヤンからP―3C型機売込について援助を要請された事実(同調書第五巻)、小佐野が、米国ロスアンゼルス空港でロツキード社から二〇万ドルを受領した経緯、状況(同調書第五ないし七巻)、同社の概要、クラツターの経歴(同調書第三巻)などを、それぞれ立証するものと認められ、以上は小佐野の犯罪事実たる偽証の対象となつた事項について、その客観的事実を立証しようとするものであるから、いずれも同人の犯罪事実と密接に関連し、かつその存在の立証に必要なものであることは明らかであつて、しかも現段階において既に採用済みの他の証拠によつては、その立証の用を果たし得ないと認められるので、本件証言調書は、いずれも小佐野に関して、不可欠性の要件を充足しているものと言うことができる。

第四節  特信性の要件

第一款 本節の結論

(508) 本件各証言調書は、その録取された当時の状況(後記第二款ないし第五款参照。)、証人らの供述態度(後記第六款参照。)及びその供述内容に証人らに不利益な事項を含むものであること(後記第七款参照。)並びに証人らと日本側関係者らとの利害関係(後記第八款参照。)、その他諸般の事情を綜合すれば、刑訴法三二一条一項三号所定の「特に信用すべき情況の下に」作成されたものであると認めるのが相当である。以下、各事項につき分説する。

第二款 証言録取の手続

(509) 序章第三節で述べたように、本件嘱託証人尋問は、我国裁判官の証人尋問嘱託に従い、米国カリフオルニア州中央地区連邦地方裁判所によつて執行官に任命されたチヤントリー同州上級裁判所退任判事主宰の下に、副執行官クラークが尋問にあたり、我国検察官二名及び証人の法律上の利益を代弁する弁護人一名が立会のうえ、証人両名に対し連邦民事手続規則に則り実施されたものであり、本件各証言調書は、その尋問、供述はもとより、異議の申立、相手方の意見及び執行官の裁定等をも含めて、その一切の模様を逐一速記、録取して調書化したものである(証言調書が証人尋問手続における真正かつ正確な記録であることは、コーチヤン及びクラツターが各調書を閲読し、訂正を加え正確性を確認したうえで、各調書末尾に署名していること並びに右手続に終始立会していた副執行官レイノルズ及び公証人の認証によつて明らかである。)。

(510) 本件各証言調書が、一号所定の裁判官面前調書に該当せず、同号の類推適用も認められないことについては、前章に詳述した。しかしながら、三号書面としての特信性を判断する上においては、本件証人尋問が、執行官として米国内において法曹資格を有する裁判官を充て、その主宰の下で、米国内法上の証人尋問手続に則つて実施された事実は、これを高く評価しなければならない。蓋し、三号所定の特信性は、供述のなされた際における外部的状況の具体的評価に関わるものであるから、一号所定の裁判官の資格要件とは異なり、準拠法規(日本法か外国法か)の如何を問うことなく、実質的な判断が許されるからである。かかる観点からするならば、本件証言調書の特信性が高いことは、刑訴法三二一条一項二号所定の検察官面前調書との比較から明らかである。すなわち、検察官面前調書は、公益の代表者であるとはいえ、訴訟構造上は被告人と対立する一方の当事者である検察官において、余人の立会を許さない密室的状況下において供述者を一方的に取り調べ、これによつて得た供述を検察官の手で取りまとめたものであるのに対し、本件証言調書は、裁判所から証人尋問を主宰させるために執行官に選任された法曹有資格者であり、当事者と何らの利害関係を有せず、その経歴、資格等からして公平な第三者的立場において副執行官の尋問を規制できる立場にある(現にそうしていることが窺われる。)者の面前で、かつ、一般公開こそされなかつたものの、証人の法律上の利益を代弁する専門家の立会する中で米国法による尋問手続に準拠して行なわれた尋問及び供述を一問一答形式で逐一録取したものであるから、誘導、誤導その他不相当な尋問方法、一方に偏した取調、供述結果の取りまとめに際しての不正確さ等を排除するうえで後者が優ることは多言を要しない。

(511) 刑訴法は、二号前段所定の書面につき、類型的に信用性の情況的保障が存するものとして、別途信用性の情況的保障を要求することなく、その証拠能力を認めているものである。してみれば、前述した如く、二号書面と比較して、実質的により信用できる情況の下において作成された本件証言調書が、証拠能力を認めるための要件として刑訴法が要求している「特信性」の要件を充たすことは明らかである。

(511a) 小佐野第一次意見書第四の二の2は、本件尋問手続が、もつぱら検察官のため、その提出にかかる尋問事項書によつて、一方的に行なわれ、被告人らがその手続に関与する機会が全く与えられなかつたから特信性がない旨主張する。しかしながら、反対当事者の関与の機会(究極的には反対尋問)が与えられなかつた供述証拠につき、例外的に証拠能力を認めるための規定たる三号について考察している現段階においては、右の所論は当然の前提たる事実を言うに過ぎず、それをもつて特信性なきものと言い得ないことは自明の理である。

(511b) 小佐野第一次意見書第四の二の2、同第二次意見書第一の七は、証言調書の如きは、米法上もデポジシヨン(deposition)として、原供述時に相手方に反対尋問の機会を与えたときに限り、限定的に証拠能力をもつに過ぎないから、そのような機会を与えなかつた本件証言調書には特信性が認められない旨主張する。しかし、米法上の解釈を直ちに我刑訴法の解釈に援用することが相当でないことは明らかであるうえ、実質的に考慮しても、所論の如き解釈は、三号に、原供述時に相手方に反対尋問の機会を与えた場合に限る旨の法文上何ら規定のない新たな要件を付加するに帰し、同法三二一条一項各号所定の供述録取書の大部分について証拠能力を認め得ないこととなり、到底採るを得ない。

第三款 宣誓及び偽証罪の制裁の告知

(512) チヤントリーは、各期日ごとに証人尋問手続の冒頭に証人らに対し、適法に宣誓ないし宣誓をした上での証言でありその効力が継続していることの確認をさせている。さらに、両証人に対する実質的な証人尋問手続が開始されたそれぞれの期日の冒頭には、右宣誓の後に、両証人に対し、偽証を犯した場合若しくは偽証したと疑われるような場合には、(手続に立会つている)日本国の検察官が、米国のしかるべき捜査機関に告発することがあり、ひいては米国内法において偽証罪により起訴され得ることを警告している。

(513) 宣誓は、証言に先立ち、良心に従つて真実を述べる趣旨を誓う厳粛な行為であるから、これをなすこと自体によつて(証人の教養、識見、性格等によつて強弱の差はあるにせよ)、証人に対し、真実を述べる方向へのある程度の心理的圧力となるものである。ということは、すなわち、宣誓を経ない供述に比し、これを経た供述はそれだけ信用性が保障されていることを意味するのである。

(513a) 児玉意見書第三の二の1の(一)は、「宣誓供述書」(affidavit)はそれが宣誓供述書であるというだけの理由で証拠として許容されることはないことを挙げて、宣誓がなされていること自体によつては反対尋問に代替し得るほどの信用性は保障されないと論じているが、ここでは宣誓にそこまでの信用性の保障があると言つている訳ではなく、ある程度の信用性を保障する力のあること(弁護人といえども、この点まで否定する趣旨とは思われない。)を、特信性判断の一資料とするに過ぎないのであるから、供述の信用性の保障がまさに宣誓の存在のみにかかつている宣誓供述書(宣誓執行権を有する者の面前における供述者の宣誓下の供述を録取した書面)の場合と軌を一にすることはできないのである。

(514) 宣誓は、それ自体である程度の信用性を担保するが、通常はそれのみで終わることなく、偽証罪成立の前提要件となることによつて一層高度の信用性への保障となるものである。宣誓に引き続き偽証罪の制裁が告知されることにより、処罰への恐怖が間接強制として働き、証人の内心において虚偽を供述することを抑制する機能を果たすのである。コーチヤン及びクラツターは、いずれも、チヤントリーからあらかじめ偽証罪の制裁を告知されていたのみならず、証言に立ち会つた自らの弁護人の助言を通じ、その証言内容に虚偽があれば、米国内法上偽証罪として訴追され制裁を受ける可能性があることを熟知していたものと認められる(とくに、クラツターは、米国内法上のイミユニテイの効果が、証人尋問手続の過程における偽証について及ばないことを、弁護人を通じて確認したうえで証言を開始している。)。

(515) しかも、チヤントリーが、証人両名に対してなした偽証罪の制裁の告知は、単なる一般的、抽象的なそれに止まらず、尋問手続に終始立会して証人らの証言を注視している日本国の検察官が、その証言内容に偽証の疑いがあると認めたときには、米国のしかるべき捜査機関に告発する可能性があるというきわめて具体的な内容をもつ、まさに警告というべき性質のものであつて、これによつて証人両名が、検察官を証人らの偽証に対する監視者的立場のものと受け取り訴追の可能性を現実的なものと感じたであろうことはたやすく推認できる。とりわけ、両証人は、(一)当時の客観的情勢に照らし、自らの証言内容が日本国内において、今や、重大な政治・社会問題と化しているいわゆるロツキード事件の捜査に決定的な重要性を有するものとして、注目の的となつており、それだけに、その証言内容に虚偽があることが発覚した場合にはきわめて強度の社会的非難の的となり得ること(すなわち、訴追の蓋然性の高いこと)、(二)証言内容に関する各種の客観的資料、証言に現われた日本側関係者に対する裏付捜査の結果等との対比において自らの証言内容の正確性が容易にテストされ得ること、さらに注意すべきことには、証人両名は、同じ日本側検察官の立会の下に証言するため、同一ないし関連する事項についての供述に齟齬を来たすとき(事前の通謀がない限り、証人の一方が偽証した場合にその公算が大である。)は直ちに察知され得ること、すなわち偽証の発覚の蓋然性がきわめて高いことをも十分に知悉していたものと認むべきである。

(515a) 児玉意見書第三の二の1の(二)は、証人らは、いわゆるロツキード事件に関し、米国内で提供されていた資料の内容を知り得る立場にあつたのであるから、偽証罪で訴追される危険を回避しつつ証言することが容易であつたとして、右告知の効果を疑問視する。しかしながら、本件尋問手続の過程において、証人らは、示された資料につきしばしば「知らない」、「見たことがない」旨供述していることに照らしても、証人らは、本件尋問手続において使用された各種資料についてすら事前にその全容を把握していたものではないことが窺われるのであつて、証人両名にとつて既知の資料についてのみ辻棲を合わせ、敢えて偽証を試みるときは、日米捜査機関に当時までに収集されていた資料であつて証人らの関知しないもの、あるいは将来捜査の進展に伴い収集されることあるべき物的・人的証拠との対比においてその虚構が発覚し、訴追を受ける危険性は多大であり、到底所論のような工作をなす余地のなかつたことは、多言の要を見ない。

第四款 弁護人の立会

(516) 本件証人尋問手続に際しては、コーチヤン及びクラツターの各弁護人がそれぞれの尋問手続に終始立会し、各証人の利益を擁護すべく、自由な活動を認められ、異議の申立、証人に対する助言等の諸活動を行なつている。このことは、二重の意味で本件各証言調書に信用性の情況的保障を与えるものである。

(517) 第一に、尋問手続それ自体における証人の利益擁護者として果たす役割は、尋問者側の証人に対する一方的な密室的状況下での取調という色彩を排除するものである。すなわち、一方的な取調(尋問)を受けがちな証人のために、その弁護人が尋問の機会に立会うことによつて、反対当事者の立会と違つて間接的にせよ。尋問者の(自己に有利な方向へのみの)追求が抑制され、その結果、尋問の方向づけも緩和し、自ずと客観的な立場に立つた証言がなされることとなる。本件証人尋問手続に照らして具体的に述べれば、誘導、誤導等の相当でない尋問方法に対する異議申立、尋問に使用された資料についての内容等の確認及び証人に対する証言内容への注意、助言等が、証言調書中に見受けられる。

(517a) 児玉意見書第三の二の1の(三)は、証人の弁護人の立会は、証人のため不利益な供述内容となることの防止の保障とはなり得ても、供述内容が真実に合致するための保障とはならない旨主張する。確かに、弁護人の立会及び活動は、もちろん依頼者たる証人の利益を擁護するためのものであつて、相手方当事者と目される被告人らの利益擁護を直接の目的とするものではない。しかしながら、その目的たる証人の利益擁護のためなされた弁護人の立会及び活動は、尋問者の過度な一方的追求から証人を防禦することにより、結果的には手続の客観性、公正性を担保することとなつたことは、前述のとおりである(なお、後記518参照。)。所論は理由がない。

(518) ところで、右に述べた公平さの担保としては、第三者として手続を主宰したチヤントリーの存在自体が、大きな役割を果していることは既に論じたとおりであつて、弁護人の立会が独立の意義を有するのは、むしろ以下に述べる機能を果した点にあるものと考えられる。ここで、本件証人尋問手続における証人らの立場を考察すると、まずクラツターは、日本側の不起訴宣明、米国法上のイミユニテイにより、その証言内容によつて、我国及び米国内において、自己の刑事責任を追及されるおそれは実質的に存しなくなつたものであり、コーチヤンは、不起訴宣明によつて我国に関しては右同様の立場に立ち、米国内における立場については、弁護人とも十分に相談した上で、同国憲法修正五条に基づく供述拒否の特権を行使しない旨本件尋問手続において再三述べているのである。従つて、証人らは証言事項に関し、日米両国において訴追されるおそれがないか、訴追を甘受する決意を表明していたものであつて、証言に当り、証人らが顧慮すべき唯一のおそれは、証言内容によつて偽証罪に問われることだけであつたのであり、弁護人が立会して証人らに法律上の助言を与える目的も、まさに偽証罪を犯す危険から証人らを護ることにあつたものと認められる(現に、クラツターの弁護人は、クラツターに対し、同人が返答に詰まつた際、その記憶する限りで答えて、決して意見、推測にわたることを答えないように注意していることが窺われる。)。そうだとすれば、本件証人尋問手続に際して、証人の弁護人が、終始立会しかつその目的を果たすべく自由に活動していたことは、まさに証言の真実性を担保するに足るきわめて重要な外部的状況と言い得ることになる。

第五款 客観的資料を提示しての尋問

(519) 副執行官クラークは、本件証人尋問に際し、証人らに対し多数の副執行官証拠物Co―commissioner'a to testi-fy or produce documents or thingsに応じて提出した資料を含み、いずれも証言調書末尾にその写が添付されているが、契約書、領収書、連絡文書等の客観的資料が多い。)を示し、その成立の真正等を確認させたうえで、その記載内容につき遂一説明を求める尋問方法によつている場合が多い。このような尋問方法によるときは、証人らに対し、過去の相当長期間に亘る複雑な内容の事項に関し、単なる記憶のみに頼る供述を求める場合に比し、(一)記憶の不正確、喪失等に基因する悪意によらないあいまいさ、誤り等を防止し、正確な供述の確保に資するとともに、(二)証人らが故意に事実を隠ぺい又は仮装する余地を少なからしめ、もつて可及的に虚偽を排除することが可能となるから、これまた本件証言調書の特信性を担保する外部的状況の一に数えることができるのである。とくに、証言事項がロツキード社の我国に対するL―一〇一一型機販売の業務活動に関連するものが大半を占め、かつ、提出される資料も同社の右業務活動に関連してその通常の過程で作成された客観性の高いものが多い事実は、一層右判断の正当性を裏付けるものと言い得よう。

(519a) 小佐野第一次意見書第四の二の2は、証人らに示された資料は、ほとんどが写であつて、その資料自体(「原本」の趣旨と思われる。)について十分な検討吟味がなされたとは言い難く、その成立についても疑念が存するものがある旨主張する。本件各証言調書末尾添付の資料(写)は、いずれも複写機械によつて原本の形状そのままに複製されたフオト・コピーであつて、原本との異同の識別は容易になし得るものと認められるところ、証人らは、写として示された資料につき、証人自身でその原本の存在及び成立を確認できるものと然らざるものを截然と区別したうえ、前者についてのみ、それに基づき、その作成経緯、内容及び関連する事項を証言しているのであつて、後者についてまで、その存在、成立を仮定したうえで、実質的証言をしている訳ではないから、実質的証言内容に関する限り、所論はその前提を欠くものと言わざるを得ない。

第六款 証人らの供述態度

(520) 本件証言調書において有資格の公証人兼公認速記者の手によつて逐語的に録取された発問、応答の状況から窺うことができる証人らの供述態度は、全体として誠実であつて、虚構を申し述べるような意図を疑わせない真摯性を示しているものと認められる。これを具体的に言えば、(一)尋問に対しては、供述を拒否したり、すりかえ、ごまかし等によつて供述を回避することなく、常に尋問事項に対応した供述をなしており、(二)尋問の意味が明確でないような場合には即答を避け、改めてその意味を確認したうえで供述し、(三)自らの記憶の忠実な再現に努め、いやしくも記憶のあいまいな部分については推測を述べることを避けて卒直に記憶していない旨供述し、(四)一旦供述した事項に関しても、より正確な記憶の喚起に努め、しばしば訂正ないし付加を試みている等の供述態度を挙げることができる。

(520a) 児玉意見書第三の二の1の(六)は、証人両名が、原供述時から既に我国の受訴裁判所において被告人側の反対尋問を受けることを拒絶する意図を有していたものと認められるから、かかる意図の下になされた本件供述は、甚だ無責任なものであつて特信性を欠く旨主張し、小佐野第一次意見書第四の二の2も、これと同旨を主張している。確かに、後日反対尋問によつてその真偽を吟味される機会があることが無責任な供述を抑制する契機たり得ることは否定し得ないが、逆に、後日反対尋問を受ける機会がないからといつて、そのような供述がすべて一律に無責任なものであると論断し得ないこともまた言うまでもないところである。そもそも証人らが本件証人尋問手続当時から、将来我国の裁判所で反対尋問を受ける場合がないことを予測し、ことさらにこれを意識して証言をなしたものと認めるに足りる証拠はないのみならず、却つて、証人らの供述の真摯性を窺うに足りる十分な状況が存することは前述のとおりであつて、所論は到底採るを得ない。

(520b) 小佐野第一次意見書第四の二の2は、本件証人尋問手続におけるクラークの尋問が徹底を欠き、事実の追求が不十分である旨主張し、児玉意見書第三の二の1の(二)は、日本側関係者との供述の食い違いにつき突込んだ尋問がなされたものとは解し難い旨主張する。しかしながら、クラークは、コーチヤンに対して七日、クラツターに対して五日の長期間に亘り、詳細にその証言を求めているのであつて、事項によつては正確を期すため、従前の供述内容につき改めて各種資料等に基づき確認ないし検討したり、同一事項に関し数回の期日に亘つて再三尋問を繰り返したり、食い違う内容の日本側関係者の供述を引いて証言の正確性を確認している場合もしばしば見受けられる。以上によれば、所論は、その前提自体を欠くものと言わねばならない。

(520c) 小佐野第一次意見書第四の二の3、同補足は本件証言調書中には、明白な虚偽の供述等が随所に認められるにもかかわらず、尋問においてはそのまま看過されていることに照らして、その証言には特信性がない旨主張するが、虚偽の供述であるか否かは証明力の問題に帰着し、証拠能力を判断する時点においてこれを論ずるのは相当でなく、その余の点については、前述の如き尋問供述の状況に照らし、特信性否定の事由となすに由ないものと言うべく、所論は採るを得ない。

(520d) 小佐野第一次意見書第四の二の2は、本件尋問において、広範囲に亘つて伝聞事項の供述を許しているから、その証言は特信性がない旨主張する。いわゆる再伝聞に関しては、第六章第一節で判断するところであるが、証言の全部ないし大部分が再伝聞と目される場合ならばともかく、本件の如く厖大な供述全体の中で、一部に散在するに過ぎない場合は、供述全体を特信性なしと評価する必要は全くなく、個々にとりあげてその証拠能力を別途判断すれば足りるのであるから、所論は理由がない。

第七款 不利益供述

(521) コーチヤンは、証人尋問手続冒頭において、自ら連邦憲法修正五条に基づく供述拒否特権を行使しないことを明言し、クラークから再三その証言が、米国内において民事ないし刑事の他の手続で使用され得ることを注意され、そのことを確認したうえで、自己に不利益な供述(たとえば、政府機関に対する虚偽申告など、連邦犯罪として郵便法、証券取引法等に違反する事実に関する供述)をしている。

(522) およそ通常人ならば、敢えて虚構してまで自己に不利益な事実を供述することは、一般には考えられず、特段の事情のない限り、それは真実を語るものと解される(刑訴法三二二条一項本文前段はその趣旨である。)。コーチヤンについては、虚構の不利益供述をなすべき何らの特段の事情が認められないことについては、さきに述べたとおりであつて(なお、次款も参照。)その供述はきわめて信用性が高いものと認められる。

第八款 日本側関係者らとの利害関係

(523) 証人両名は、日本側関係者、ことに被告人小佐野、児玉、大刀川はもとより、別件被告人として審理係属中である政府、全日空及び丸紅関係者との関係において、これらの者をとくに嫌忌し、自ら偽証罪に問われる危険を冒してまで、ことさらにこれらの者を陥れるための虚偽の供述をなすべき立場にないことは明白である。むしろ世界的規模で取引を行つている多国籍企業の責任者たる証人らが、そのような挙に出ることは、単に我国の関係者のみならず広く国際的取引相手からの信用失墜につながるものであるから、企業に対する忠誠心の強い証人らの忍びないところである。ことに被告人三名に関しては、証人らは、ロツキード社の製品販売に関する各種の協力、援助活動を高く評価し、L―一〇一一型機の販売成功に感謝の念を抱いていることが窺知できる。かくの如く、証人らが日本における知人としてその人となりを知悉し、好意すら寄せている被告人らに対し、その証言が刑事責任追及の重要な資料となることを十分認識のうえ、ことさらに被告人らに不利益な虚構を述べることは、およそ考えられない事態である。

(524) また、証人らが、その証言内容について訴追されるおそれは存在しないか、存在してもそれを甘受する意図であつたことは前述のとおり(前記518参照。)であるから、偽証罪による訴追のおそれは別として、証人らが自己保身のため虚構の事実を述べる必要は全く認められないのである。

(525) さらに、証人らが、執行官、副執行官及び日本側立会検察官らと何らかの利害関係を有していたことを窺わせるに足りる証拠はなく、敢えてこれらの者の意を汲み、これに迎合して虚構の供述を行なうような事情は全く認められない(偽証罪の告発を受ける危険性は、虚偽供述をなさない限り何らおそれるに足りないものである。)。

(526) 以上のとおり、証人らには虚偽供述をなすべき何らの動機、必要が認められず、そのことは、証人らの証言の信頼性、真実性を窺わせるに足りるものである。

(526a) 児玉意見書第三の二の1の(五)は、証人らは、児玉、大刀川の共犯者と考えられるところ、共犯者の供述は事実の真相を歪曲して伝える危険性があり、その信用性に疑問がもたれるものであるから、証言調書は特信性を欠く旨主張する。共犯者の供述が、一般に信用性が低いとする考え方(直ちにそう言い切れるか疑問はあるが)は、共犯者は自らの責任軽減ないし回避のため、他の共犯者に責任を負わせる方向で真相を歪曲して供述する蓋然性が高いことを顧慮したものと考えられるが、本件においては、証人らは、最早訴追されるおそれがなく、右の如き配慮をする必要が全くないこと及びその供述内容に照らしても、自ら不利益な事実を供述し、被告人らに責任を転嫁するような供述をなしていないと認められることからすれば、所論は理由のないことが明らかである。

第五節  任意性

第一款 本節の結論

(527) 前節までの検討により、本件各証言調書は、刑訴法三二一条一項三号所定の要件を充たすものと認められるので、進んで同法三二五条によりその任意性を調査するに、下記の理由により、同調書に記載された供述はいずれも任意にされたものと認めることができる。

第二款 刑訴法三二五条と三号書面

(528) 刑訴法三二五条は、「裁判所は前四条の規定により証拠とすることができる書面(中略)であつても、あらかじめ、その書面に記載された供述(中略)が任意にされたものかどうかを調査した後でなければ、これを証拠とすることができない。」旨規定しており、小佐野第一次意見書第二の二の4、同第二次意見書第一の五は、本件証言調書は、検察官が、証人らに対し、不起訴の約束を与えて、その結果得られた供述を内容とするものであつて、約束による自白は、任意性を欠き証拠能力がないとした判例(最高裁判所昭和四一年七月一日第二小法廷判決、刑集二〇巻六号五三七頁)の趣旨に照らし、任意性を欠き証拠能力がない旨主張する。

(529) 案ずるに、同条は、任意性が証拠能力の要件たること明らかな自白についての規定でもあるうえ、その規定の位置に照らせば、証拠能力に関する規定と解すべきであるが、同条を根拠にすべての伝聞証拠につき任意性を証拠能力の要件であるとすることはできず、任意性が証拠能力の要件であるか否かは、それぞれの供述(書面)の性質、規定の趣旨等によつて定まることである。三号は、「特信性」を証拠能力の要件としており、その存否の判断に際しては、任意性の有無が当然大きな影響を及ぼすものと考えられ、同号においてはその規定自体が、実質上証拠能力の要件として任意性を要求しているものと解すべきである。

第三款 任意性の意義

(530) 適法な強制すら許されない被告人の自白(刑訴法三一一条、三一九条一項参照。)と異なり、被告人以外の者の供述については、たとえば証人尋問は明らかに強制処分の一種であつて法的な制裁(刑訴法一六〇条一項、一六一条)を以て供述を強制していることに照らせば、三号で要請される任意性が、供述の自発性を意味するものでないことは明らかである。

(530a) 右の如き被告人の供述と被告人以外の者の供述についての任意性の意義内容の差異に照らしても、前記所論引用にかかる刑訴法三一九条一項についての最高裁判所判決は本件と事案を異にし、本件に適切でないことが明らかである。

(531) 結局、三号における任意性は、特信性に関連して、供述者の自由意思が、供述に際して虚偽を申し述べる方向へ圧迫されたか否かの問題に帰着する。そして、証拠能力の次元においての判断は、一般的、類型的になされるべきであるから、三号における任意性とは類型化、抽象化された形で「虚偽供述をなす危険性(蓋然性)のある状況がないこと」を指称するものと解すべきである。かかる観点からすれば、証人に対し適法に証言義務を課した場合は、それが単なる供述の強制ではなく、宣誓及び偽証の制裁の告知によつて、真実を供述することを強制するものであるから、それによつて右に述べた意味での任意性を欠く結果を招かないのは当然である。

第四款 本件証言調書の任意性

(532) そこで、前款で示した基準に従つて、本件証言調書の任意性につき以下検討する。前款で摘示した如く、三号でいう任意性とは、結局嘘を言うおそれがある状況にないことを意味するのであるから、これは特信性すなわちその供述の信用性、正確性が類型的に認められる情況にあることとは表裏の関係に立つものであつて、特信性判断に関する消極的、否定的要素が存在しないことを明らかにすることが任意性判断となるわけである。従つて本来右両者の判断は、密接不可分な表裏一体をなすものと言えるのであつて、既に特信性につき論述したところ(本章第四節)は、任意性の判断にあたつても当然参照さるべきところとなる。

(533) まず、本件証言が、裁判所における証人尋問と実質的に同視しうる状況下に行なわれたものであるうえ、さらに証人の利益擁護のため証人の弁護人が、証人尋問に際して終始立会し、かつ自由に活動し得たことからすれば、証人らが、供述に際して外形的な供述強制を加えられたものでないことは明らかである。この点では、二号は言うに及ばず一号ないし通常の公判廷における証人尋問よりも、(弁護人の立会、活動が認められている点で)証人の供述の任意性を担保する状況下にあつたことを留意すべきである。

(534) 証言命令が出され、証言拒否に対して厳しい法廷侮辱の制裁が課されていることからすれば、証人らに証言義務が課され供述強制がなされていることは認めなければならないが、いずれも連邦民事手続規則に則つた適法な強制であり、かつ宣誓、偽証罪の制裁の告知が伴つているものであることに鑑みれば、それは真実の供述を強制するものであつて、かかる事情は毫も任意性を損うものではない。

(535) 従前から再三論じてきたとおり、検察官による不起訴宣明は、本件証言当時既にその効力を発し、かつ、それが確定していたものであつて、証人らが証言に際して、自己が供述することにより検察官から不起訴の処分をしてもらうことを期待するという関係にあつたものではない。検察官には最早証人らに対する公訴提起に関する処分権限は何ら存せず、証人らは確定的に、その供述事項に関し、起訴されない地位を有していたのである。なお、米国側にこの点に関して誤解があつたとしても、証言内容の如何によつて検察官が証人らの処分を左右しうる地位になかつたことは、フアーガスン決定に鑑み、当時から既に証人らにとつて明らかであつた。従つて、証人らは、証言当時、これからの証言内容如何により自己の処分が決定されるという立場にはなく、何ら検察官の反応を顧慮することなく供述し得たものである。利益誘導による供述と言えないことは、右の検討からして明らかであろう。

(535a) 従つて、虚偽供述への誘引としてこの点を根拠とする前掲528の所論は、その前提を欠くものであつて、理由なきものと言わざるを得ない。なお、児玉意見書第三の二の1の(四)も、本件証言調書は、供述者に対し自己帰責を免除することを条件として、その約束の下になされた証言すなわち約束による供述を録取したものであつて、かかる約束による供述は、虚偽の供述を誘導する蓋然性があるので、特信性がない旨主張するが、右と同様の理由で排斥を免れない。

(535b) 小佐野第一次意見書第二の二の4、同第二次意見書第一の五は、さらに米国の判例を引用して免責を賦与された証人の供述の偏頗なこと及び無責任なことを指摘する。しかしながら、米国の免責に関する判例が、事情の異なる本件に直ちに援用できるかどうか疑問であるうえ、そもそも供述拒否特権を主張した後で証言を強制される証人は、実質的にははじめからかかる特権を主張することなく通常の証人尋問手続に従つて証言を強制される普通の証人と何ら異なる立場に立つわけではないことに留意すべきである。すなわち、証言したら刑事免責を与えるという取引的な手段によるのならばともかく、刑事免責を確定的に与えられ、よつて供述拒否特権を主張する基盤を失い、その結果証言を強制される証人は、もともと右特権を主張できず直ちに証言を強制される証人と、証言によつて何らの利益を受けず、却つて虚偽供述により偽証罪の制裁を被るという点では、全く同一の地位にあるものと言わざるを得ない。そうだとすれば、本件証人らの如き立場にあるからと言つて、直ちにその供述が偏見の強い無責任なものである危険性が存すると言えないことは明らかである。しかも本件における証人らについては、前述の如く、偽証罪の訴追の可能性が、一般に比し高いことを忘れてはならない。むしろ真実供述強制の程度が、通常の証人より強いものと言うべきなのである。従つて、所論は採るを得ないものである。

(536) その他、前節に詳述した諸事情に照らして、証人らの供述に任意性が存することは、疑いを容れ得ないものである。

第六章 再伝聞供述及び副証の証拠能力

第一節  再伝聞供述

第一款 序説

(601) 提示にかかる本件各証言調書中には、証人らが他の者から伝聞した事項に関する供述が多数見受けられるので、この点について検討する。なお、証人の供述自体には直接伝聞事項が含まれていないように見えても、副執行官クラークの発問中に伝聞事項が含まれていて、証人においてその質問内容をそのまま肯認しているような場合(別紙一ないし五の「原供述欄」に※印で表示した。)には、証人の供述が伝聞供述となることは、言うまでもない。伝聞供述の意義、その証拠能力についての一般的見解等については、既に昭和五三年七月一三日第二二回公判期日(被告人小佐野の関係では、準備手続期日)における決定において、福田太郎の検察官に対する供述調書の証拠能力に関し、当裁判所の見解を明らかにしているので、ここでは繰り返さない。ただ、本件各証言調書中に特有の問題につき若干敷衍する。

(602) 伝聞供述で原供述者を特定の一人に限定できず、二者択一的であつても、原供述者の範囲が右特定の両者に限定され、それ以外の者ではあり得ないことが明らかである以上は、本来証人として各々これを尋問し反対尋問を行なうことができるのであるから、伝聞供述の原供述者が二者択一であるというだけの理由で証拠能力を取得し得ないものではない(最高裁判所昭和三八年一〇月一七日第一小法廷判決、刑集一七巻一〇号一七九五頁)。従つて、たまたま原供述者と目される者両名が、いずれも供述不能である場合には、そのそれぞれにつき刑訴法三二四条二項、三二一条一項三号によつて、その証拠能力を判断し、これがすべて認められる限りは全体を不可分一体のものとして取扱い、その証拠能力を認めることができる(別紙一の番号37、38、39のバロウとクラツターとの択一的供述)。

(603) しかし、右の場合において二者のうち一方の者に関しては、刑訴法三二四条所定の要件を欠くときは、他の者に関してその要件が存する場合であつても、右伝聞供述部分は完全な証拠能力を有するものとは言えないから、結局これを証拠とすることはできないことになる(別紙五の番号7の福田と歳谷との択一的供述)。

(604) また、二者のうち一方の者に関し刑訴法三二四条所定の要件が存し、他方の者が本件被告人である場合には、右供述は、当該被告人に対する関係においては、被告人の供述を内容とする供述として刑訴法三二四条一項、三二二条一項によりその証拠能力を認めることができるため、結局択一関係にある二者のそれぞれにつき証拠能力の認められる前記602の場合に該当することとなる反面、当該被告人以外の被告人に対する関係においては、同法三二四条二項、三二一条一項三号所定の要件を欠き証拠能力を認め得ないため、択一関係にある二者のうち一方につき証拠能力の認められない前記603の場合に該当することとなり、その証拠能力は、相対的である(別紙二の番号18の児玉とコーチヤンとの択一的供述)。

(605) 次に、両者が同一の企業組織内に属していて、その供述が同一の業務過程における連絡事項とみられ個人性が捨象されるような場合には、全体を一個の原供述として証拠能力を判断すれば足りる。そして、右のような業務連絡に関する事項についての供述は「特に信用すべき情況の下にされたもの」の要件に適合するものと認められる。

(606) 再々伝聞以上の多重伝聞の場合にも、それぞれの過程において刑訴法三二四条による同法三二一条一項三号等の所定の要件を充たす限り、その証拠能力を認めることができる(別紙二の番号5、7、11、四の番号2、7、五の番号4)。

(607) なお、再々伝聞とみられるような場合であつても、再伝聞者が「通訳」として、単に原供述を外国語に翻訳しているに止まるときは、反対尋問によつて吟味するまでもない機械的な伝達過程に過ぎないので、右通訳の供述については、再伝聞の問題を生じない。

第二款 被告人以外の者の供述を内容とする供述であつて証拠能力を認め得るもの

(608) 被告人以外の者の供述を内容とする供述については、刑訴法三二四条二項により同法三二一条一項三号の規定が準用されたところ、(一)クラツター、コーチヤン、A・H・エリオツト、L・T・バロウ、R・I・ミツチエルらは日本国外にあつて来日の意思のないもの、福田太郎は昭和五一年六月一〇日死亡したものであつて、いずれも「公判準備又は公判期日において供述することができず」かつ、(二)後記各供述内容に照らし「その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないもの」であることが認められ、さらに、(三)これらの供述は、L―一〇一一型機の日本売込みに関与したロツキード・エアクラフト社及びその子会社の従業員と通常の業務過程における通訳兼相談相手として彼らを助けた福田太郎との間で本件犯行の発覚前に交された、いわば仲間うちの会話に関するもので、その内容も通常の業務過程におけるやり取りであり、取調べを意識してことさらに事実を歪曲するような必要の全くない自由かつ自然な雰囲気のうちになされたものであるから、「特に信用すべき情況の下にされたもの」であると認められ、結局、同号所定の証拠能力の要件をすべて具備するものと認めるに十分である。右により証拠能力の認められる供述は別紙一のとおりである。

第三款 被告人の供述を内容とする供述であつて相対的に証拠能力を認め得るもの

(609) 被告人の供述を内容とする供述については、原供述者本人に対する関係においては、刑訴法三二四条一項によつて準用される三二二条一項に則り、その証拠能力を認めることができる。しかし、原供述者本人でない他の被告人に対する関係においては、それは被告人以外の者の供述を内容とする供述にほかならないから、前款におけると同様、刑訴法三二四条二項によつて準用される三二一条一項三号所定の要件を充たす場合に限り、その証拠能力を認むべきところ、被告人児玉、同太刀川、同小佐野については、同号所定の要件中、公判期日等における供述不能の要件に欠けることが明らかであるから、それぞれ相被告人に対する関係においては、その証拠能力を認めることはできない。右に該当する供述は、別紙二ないし四掲記のとおりである。

第四款 被告人以外の者の供述を内容とする供述であつて、証拠能力を認め得ないもの

(610) 大久保利春、中曾根康弘、歳谷鉄の供述を内容とする供述は、刑訴法三二四条二項、三二一条一項三号所定の要件を具備しないことが明らかであるから、その証拠能力を肯認することを得ない。右により証拠能力を認められない供述は別紙五のとおりである。

第二節  副執行官証拠物

第一款 本節の結論

(611) 本件各証言調書に添付された副執行官証拠物(以下「副証」という。)は、(一)証人らが、右調書中尋問供述等を録取した部分(以下「本体」という。)において、その記載内容と同一の供述を再現し、又はその記載内容を引用しつつ供述している場合には、右記載内容が証言そのものの内容をなし、又はこれを補足するものとして、本体と一体をなし、(二)証人らが本体においてこれを引用していない場合には、尋問において何が示されたかを説明することによつてこれに対する証人の応答の趣旨を明らかにする限度において、本体と一体をなし、いずれも本体と同一の証拠能力を有するものと解される。

第二款 副証の性質

(612) 本件副証は、いずれも証人尋問に際し、副執行官において証人らに示して供述を求めた証拠物(証拠物たる書面を含む。)であるが、検察官は、当初、本件証言調書の証拠調請求に際して、その請求した本体部分において証人らに示され、かつ、本件証言調書に添付された副証中、一部を取り上げて本体とは別個独立の立証趣旨を付したうえで本体と同一の根拠法条に基づく証拠書類として証拠調請求をなした。かかる取扱いは、一方では副証をそれを示して得られた本体の証言を超える別個独立の立証趣旨の下に利用しようとしながら、その証拠能力に関しては、あくまで本体と一体化した添付書類に過ぎないものとして本体の証拠能力に便乗しようとする態度と評せざるを得ず、小佐野第二次意見書第二が正当に指摘する如く、副証につき、それを示して得られた本体の証言を超える立証趣旨を維持しようとする限り、いずれも本体とは別個に、これとは独立した別個の証拠物(ないし証拠物たる書面)としてその証拠能力の根拠を個別に明らかにしたうえで証拠調請求をなすべきである。

(613) しかしながら、検察官は、その後、各被告人に対して証拠調を請求する本体において、証人らに示され、かつ、本件証言調書に添付する旨の手続がとられた副証については、そのすべてを一括して本件証言調書に付して証拠調を請求する旨請求を補正するとともに、検察官第二次意見書において、従前なされていた各別の副証についての独立した立証趣旨はいずれも撤回する措置をとつたうえ、副証をそれ自体独立した証拠能力を有する書面としてではなく、あくまで本体の証言の一部あるいは証言を明確にするものとして、その立証趣旨の範囲内で証拠調請求をなす旨を明らかにしたのである。ここにおいて、副証は、その証拠調請求の内容が実質的に変容したものと言うことができる。そこで、右の意味で、副証がいかなる性質のものであるか、次に検討することとする。

(614) 副証が、本件証人尋問において、証人らに示され、かつ、その旨を手続上明確にするため、その都度本件証言調書に添付されたものであることは、提示にかかる本件証言調書自体(本体中の手続に関する記載及び添付資料)に照らし明らかである。従つて、証拠方法としての形状からすれば、本副証は、手続的には本体中の証人らの供述の一部をなし、物理的には、本体に付属するものとしてこれに添付されるという扱いを受けていることが認められる。

(615) 問題は、かかる形式面ではなく、副証が実質的にみてどのような証拠としての意義を有するかということである。もし、それが独立した証拠としての意義を有し、実質的にそのようなものとして証拠調を請求されているならば、たとえ形式面において右の如き関係があるにせよ、本件証言調書の一部をなすものとしてその証拠能力が認められることから直ちに副証をも証拠として採用することはできない。あくまで別個独立に個々の副証につき証拠能力を検討することが必要となる。しかしながら検察官が、かかるものとして副証の証拠調を請求しているものとは認められない。蓋し、(一)検察官は、本体と副証を含めた本件証言調書を不可分一体のものとして証拠調を請求しているところ、本件証言調書の立証趣旨として掲げられているものは、すべて本体に関するものであつて、何ら各副証自体についての立証趣旨はなく、従つて、副証は、右請求に関する限りそれ自体独立した固有の証拠としての意義を認められないうえ、(二)副証として掲げられているもののうち、主要なものについては、別個に独立証拠として、それ自身の立証趣旨を付されたうえで証拠書類又は証拠物として証拠調の請求がなされているからである。してみれば、検察官が本件証言調書の証拠調請求に際して、本体に付随して証拠調請求をなしている副証は、それ自体に独立した固有の意義を有する証拠としてこれをなしているものではないことが明らかである。

(616) それでは、本件証言調書の証拠調請求に関して、副証はいかなる意義及び性質のものと解すべきであろうか。ここで副証とそれを使用することにより得られた証言との関連を見るに、概ね、(一)副証の成立、存在を証人が確認したうえで、その作成経緯、状況、記載内容の説明及び副証を前提とした関連事情につき証言している場合、(二)副証の成立、存在自体を証人が確認するに至らない場合、に分類できる。

(617) 右(一)の分類中、証人がその副証の記載内容を引用しつつ供述している場合には、副証は、少なくともその必要部分に関しては、既に副執行官による尋問あるいはこれに対する証人らの供述の中に引用されているため、証言そのものの内容をなしているのであつて、敢えて副証自体を添付する必要に乏しいかの如くではあるが、単に副証中に含まれる文言の意味内容に止まらず、その記載の形状、様式まで併せ見ることが、証言の意味内容を一層明確にするという意味において、これを添付することには格段の意義を有するものと言うことができ、かかる場合、副証はまさに証言の一部分となるものであつて、その証拠能力が本体と一体として定まること論をまたない。

(618) 右の如く、その副証の必要とされる記載内容が、証人によつて引用しつつ供述するという形式により完全に証言中に取り込まれていない場合においても、およそ証言中に副証が引用されており、それが本体の内容を補足する趣旨のものに過ぎないときは、これについても本体の内容補足の限度で全体を一つの証拠とし、これを一括して証拠調することができると解される(最高裁判所昭和二七年三月二五日第三小法廷判決、刑集六巻三号五一四頁参照。)。

(619) 残る副証、とりわけ(二)の分類に位置するものについては、証人が証言中に引用したものとも言い得ないから、敢えて本体とともに証拠調をする意義は何ら存しないように見える。しかしながら本体中には、最低限かかる副証を示したところ証人らが知らない、記憶がない等と答えた旨の供述が存在している。この場合、かかる副証をその添付された本件証言調書より排除すれば、結局、右供述部分だけでは一体如何なる書類等を示されて証人が前述の如く答えたか全く理解できなくなつてしまう。してみれば、かかる副証も、本件証言調書に添付されることによつて、それを該当供述部分閲読の際、参照することにより、消極的な意味ではあつても、その供述内容を明瞭にし、その理解を助ける意義を有するものと言い得る。しかも、この場合の副証は、その供述をなす際、証人が何を示されたかを明らかにする意義を有するに止まるものであるから、何らそれ自体積極的な証明力を有せず、また、その副証自身の存在及び内容等を立証しようとするものでもないから、これを本件証言調書と一体をなすものとして取調べても、何ら被告人らに有害かつ不利益を及ぼすものとはなり得ない。従つて、かかる副証であつても、最低限、それが証人尋問手続において使用された際の証言について、何が証人に示されたかを明らかにするという意味で、証言の趣旨を明確にし、内容を理解するに役立つという意義を有するものであり、その限度において本体と一体として証拠調をなし得るものと解するのが相当である。

(619a) 小佐野第二次意見書第二は、前述のとおり各副証の内容及びその立証趣旨を当該証言部分と比較検討したうえで、右立証趣旨が証言内容を超える内容を有するものであること及び副証の形態に照らして、各副証については、本件証言調書と別個に、独立の証拠として証拠調請求をなし、個別にその証拠能力を判断すべきものと主張する。しかしながら、右主張は従前の各副証ごとに個別の立証趣旨が付されていた事態を前提とした主張であつて、検察官において右の各立証趣旨を撤回し、副証についても、本体自身の立証趣旨の範囲内においてのみ証拠調請求をなすものと解される現段階においては、既にその前提を欠くこと明らかである。

(裁判官 半谷恭一 松澤智 井上弘通)

別紙一~五<省略>

別紙六

宣明書

日本国のすべての検察庁の職員を指揮監督する権限を有する当職は、ロツキード・エアクラフト社及びその子会社又は関連会社の日本における販売活動に関連する非合法な疑いのある行為につき捜査及び最終処理をする唯一の機関である日本国東京地方検察庁の検事正に対し、証人アーチボルド・カール・コーチヤン、同ジヨン・ウイリアム・クラツター、同アルバート・ハイラム・エリオツトの三名を、被疑者以外の者として東京地方裁判所裁判官に証人尋問の請求をするよう指示しており、かつ、右各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に、日本国の法規に抵触するものがあるとしても、証言した事項については、右証人三名を日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予するよう指示している。なお、この意思決定は、当職の後継者を拘束するものである。右宣明する。

昭和五一年五月二〇日

日本国最高検察庁

検事総長 布施健

別紙七

宣明書

ロツキード・エアクラフト社及びその子会社又は関連会社の日本における販売活動に関連する非合法な疑いのある行為につき、捜査及び最終処理をする唯一の機関である日本国東京地方検察庁の検事正である当職は、証人アーチボルド・カール・コーチヤン、同ジヨン・ウイリアム・クラツター、同アルバート・ハイラム・エリオツトの三名を、被疑者以外の者として東京地方裁判所裁判官に証人尋問を請求しているもので、右各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に、日本国の法規に抵触するものがあるとしても、証言した事項については、右証人三名を日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予する。この意思決定は、当職の後継者を拘束するものである。

右、宣明する。

昭和五一年五月二二日

日本国東京地方検察庁

検事正 高瀬禮二

別紙八

宣明書

過般東京地方検察庁検察官がした請求に基づき、東京地方裁判所裁判官が米国管轄司法機関に対し嘱託したアーチボルド・カール・コーチヤン、ジヨン・ウイリアム・クラツター、アルバート・ハイラム・エリオツト三名に係る証人尋問は、現在中部カリフオルニア連邦地方裁判所において実施されているが、既に、当職及び東京地方検察庁検事正は、当該証人尋問実施の際、右各証人の証言及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に、日本国の法規に抵触するものがあるとしても、当該証言をした事項については、右証人三名を日本国刑事訴訟法第二四八条によつて起訴を猶予する旨並びに右意思決定は当職及び右検事正の後継者を拘束するものである旨を宣明している。本件につき、捜査及び最終処理をする唯一の機関である東京地方検察庁の検事正が正式に右のような措置をとり、これが右各証人に伝達され、これにより当該証人尋問が実施された以上、かりそめにも、将来右の措置に反する公訴が提起されることは全くあり得ないものであり、当職は、ここに改めて、前記三名の証人に対しその証言及びその証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として日本国領土内で公訴を提起しないことを確約する。

右宣明する。

昭和五十一年七月二十一日

最高検察庁

検事総長 布施健

最高裁判所 御中

別紙九

最高裁判所宣明書

本年五月二十二日付け書面により日本国東京地方裁判所裁判官が中部カリフオルニア合衆国連邦地方裁判所に対してした証人アーチボルド・カール・コーチヤン、同ジヨン・ウイリアム・クラツター及び同アルバート・ハイラム・エリオツトの尋問嘱託に関し、すでに、日本国最高検察庁検事総長及び東京地方検察庁検事正は、それぞれ、日本国において解明中のロツキード事件に関する右各証人らの証言内容又はこれに基づき入手する資料中に仮に日本国の法規に抵触するものがあるとしても証言した事項については右各証人を起訴しないと宣明し、東京地方裁判所裁判官は、この事実を確認の上、嘱託書二の5項の記載をしたものであるが、本年七月二十一日改めて検事総長から最高裁判所に対し、別添写しのとおり、前記三名の証人に対しその証言及び証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として日本国領土内で公訴を提起しないことを確約する旨の宣明書が提出された。

最高裁判所は、前記の諸事情にかんがみ、検事総長の右確約が将来にわたりわが国のいかなる検察官によつても遵守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する。

この宣明は、裁判所法第十二条の規定に基づき、最高裁判所全裁判官が一致してしたものである。

昭和五十一年七月二十四日

最高裁判所長官 藤林益三

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